24三重県 伊勢神宮

内宮 大鳥居(宇治橋) 外宮


   正宮  別宮  摂社  末社  所管社 別宮所管社   合計
 皇大神宮  1  10  27  16  30  8  92
 豊受大神宮  1  4  16  8  4  0  33
 計  2  14  43  24  34  8  125

社名 所在地
正宮 2宮
皇大神宮(内宮) 三重県伊勢市宇治館町
豊受大神宮(外宮) 三重県伊勢市豊川町
別宮 14宮
内宮 荒祭宮 (内宮境内)
風日祈宮 (内宮境内)
月讀宮 三重県伊勢市中村町
月讀荒御魂宮 (月讀宮境内)
伊佐奈岐宮 (月讀宮境内)
伊佐奈弥宮 (月讀宮境内)
瀧原宮 三重県度会郡大紀町滝原
瀧原竝宮 (瀧原宮境内)
伊雑宮 志摩市磯部町上之郷
倭姫宮 三重県伊勢市楠部町
外宮 多賀宮 (外宮境内)
土宮 (外宮境内)
風宮 (外宮境内)
月夜見宮 三重県伊勢市宮後


所在地:三重県伊勢市宇治館町(内宮)、三重県伊勢市豊川町(外宮)
アクセス:内宮 <近鉄>宇治山田駅からバス15分、外宮 <JR・近鉄>伊勢市駅から徒歩5分

<正宮>
○内宮
伊勢信仰の中心となる神社で、日本全国の神社で授与される神宮大麻はこの皇大神宮の神札である。親王の結婚に際して、新婚旅行として「神宮に謁するの儀」が執り行われるのが通例となっている。複数の神社を参拝する場合、格の高い神社から低い神社の順が一般的だが、神宮の通常の神事は外宮、内宮の順で行う。これを外宮先祭と呼び、参拝も外宮、内宮の順で行なうのが正しいといわれる。ただし式年遷宮の遷御は皇大神宮、豊受大神宮の順であり、奉幣は豊受大神宮、皇大神宮の順である。
別宮として、境内に荒祭宮と風日祈宮、境外に月讀宮、瀧原宮と伊雑宮のほか、境内・境外に27社・33座の摂社、16社・16座の末社、30社・30座の所管社を有する。
建物は豊受大神宮と同様に外側から板垣・外玉垣・内玉垣・瑞垣の四重垣に囲まれ、南北の門に宿衛屋が置かれている。建物は神職が交代勤務で24時間、警備・管理を行っている。

○外宮
皇大神宮(内宮)とともに正宮を構成し、両宮を参拝する際は外宮を参拝した後に内宮へ参るのがしきたりとされる。伊勢の中心にありながら、境内は平清盛が勅使として参った時に冠にその枝が触れたとされる古木「清盛楠」[1]や、初夏には三重県花ハナショウブが咲き乱れる「勾玉池」[2]などの自然が豊富に残され、非日常空間を形成する。
境外には伊勢の中心業務地区(CBD)かつ鳥居前前町の本町があり、伊勢市観光協会がここに本部を構える。外宮参道や駅前通り界隈には土産物店・旅館と銀行や大手企業の支社・支店が混在している。建物は皇大神宮と同様に外側から板垣・外玉垣・内玉垣・瑞垣の四重垣に囲まれ、南北の門に宿衛屋が置かれている。建物は神職が交代勤務で24時間、警備・管理を行っている

<内宮境内別宮>
○荒祭宮(あらまつりのみや)
天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)。天照大神の荒魂である。804年(延暦23年)の『皇太神宮儀式帳』において、「荒祭宮一院 大神宮の北にあり、相去ること二十四丈 神宮の荒御魂宮と称う」とあり、また、927年(延長5年)成立の『延喜式』において、「荒祭宮一座 大神の荒魂」と記載されている。『中臣祓訓解』『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』は荒祭宮祭神の別名として瀬織津姫、八十禍津日神を記している。

○風日折宮(かざひのみのみや)

ご祭神は、伊弉諾尊いざなぎのみことの御子神で、特に風雨を司る神、級長津彦命、級長戸辺命。雨風は農作物に大きな影響を与えますので、神宮では古より正宮に準じて丁重にお祭りしています。

風日祈宮に通じる風日祈宮橋かざひのみのみやばしの上からは、美しい新緑や紅葉を望むことができます。

<外宮境内別宮>
○風宮
風宮は外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)の麓に位置する外宮の別宮である。祭神は内宮(皇大神宮)別宮の風日祈宮と同じ級長津彦命・級長戸辺命で、外宮正宮前の池の横の多賀宮への参道にある亀石を渡った左側に風宮がある。亀石は高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられている。別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。外宮の別宮は風宮のほか境内に多賀宮(たかのみや)と土宮(つちのみや)、境外に月夜見宮(つきよみのみや)があるが、風宮が別宮となったのは1293年(正応6年)と最後であり、4別宮の中で第4位とされる。
古くは現在の末社格の風社(かぜのやしろ、風神社とも)であったが、1281年(弘安4年)の元寇の時に神風を起こし日本を守ったとして別宮に昇格した。

○土宮
土宮は外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)の麓にある外宮の別宮である。別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。外宮の別宮は土宮のほか、境内に多賀宮(たかのみや)と風宮(かぜのみや)、境外に月夜見宮(つきよみのみや)がある。土宮は多賀宮に次ぎ古く、多賀宮・月夜見宮に次ぎ3位である。
正宮前の池の横の亀石を渡った先の石段の左に風宮が、右に土宮がある。亀石は高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられている。土宮の左手には外宮所管社の下御井神社がある。

○多賀宮
多賀宮は外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)にある。別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。山頂にあるので高宮(たかのみや)であったが、縁起のよい字を当て多賀宮(たかのみや)になったと考えられている。従って、多賀大社(こちらは「たが」と濁って読む)やその祭神である伊邪那岐命・伊邪那美命とは関係がない。
外宮の別宮は多賀宮のほか境内に土宮(つちのみや)と風宮(かぜのみや)、境外に月夜見宮(つきよみのみや)があるが、多賀宮がもっとも古く、外宮の4別宮のうち、『止由気宮儀式帳』(804年)と『延喜式神名帳』に記載されているのは多賀宮のみである。祭神が外宮の祭神の豊受大御神の荒魂である豊受大御神荒魂(とようけのおおみかみのあらみたま)であることから、4別宮の中で最高位とされる。正宮前の池の横の亀石を過ぎ、土宮と風宮の間にある石段を98段登った丘の上に多賀宮がある。亀石は高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられている。足腰が悪く丘の上に登れない者のために、麓の池のほとりに多賀宮遥拝所が設けられている。

(伊勢神宮HP等より)

 雑感:俗人が評価することすらおこがましい神社です。式年遷宮を終えた後に、たっぷり参拝しました。ちなみに正宮は国家・国民に関するお願い事をするところであって、個人的なお願い事は別宮以下でやるのが礼儀みたいです。





 
   
 荒祭宮  風日折宮





  
風宮 土宮 多賀宮



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