所在地:奈良市登大路町 アクセス:近鉄奈良駅〜徒歩 正式名称:(指定日付):59〜62号(昭和27年3月29日)、@興福寺北円堂、A三重塔、B五重塔、C東金堂 こうふくじ ほくえんどう・さんじゅうのとう・ごじゅうのとう・とうこんどう 御詠歌:春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうすぐも 710年、平城遷都の際に、藤原不比等(ふひと)が飛鳥にあった厩坂寺(うまやさかでら)を移築し、興福寺に改名。法相宗の大本山。藤原鎌足の病気平癒のため、夫人の鏡大王が京都山科の私邸に建立した山階寺が厩坂寺(うまやさかでら)の前身となるため、興福寺は山階寺→厩坂寺(うまやさかでら)→興福寺と2度名前を変えている。藤原氏の氏寺として藤原氏の隆盛とともに寺勢を拡大し、奈良時代には南都4大寺、平安時代には南都7大寺の1つとして栄え、以後鎌倉時代には大和守護職を勤めるまでになる。しかし、戦国時代に入ってから徐々にその勢いは衰え、1717年には北円堂、東金堂、食堂(じきどう)以外の伽藍を消失。それ以後、徐々に現在の伽藍に復興される。(興福寺HPより) 私的満足度「★★」:これだけのものが街中に放置され自由拝観できるところが奈良の凄いところですかね。 |
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