所在地:京都市右京区御室大内 アクセス:JR東海道線京都駅〜バス 正式名称:大内山仁和寺金堂 にんなじ こんどう 国宝番号(指定日付):146号(昭和28年11月14日) 仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって仏法の興隆を図るため「西山御願寺」(にしやまごがんじ)と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。しかし光孝天皇は志なかばにして崩御せられ、次の第59代宇多天皇が先帝の意志を継がれ仁和4年(888年)にその造営を完成されました。西山御願寺は先帝から受け継がれた「仁和」の年号をもって寺号と定められ、大内山仁和寺(おおうちやまにんなじ)と呼ばれるようになりました。 平安時代の中期から鎌倉時代にかけて皇室の尊崇と貴族の庇護を受けた仁和寺は大きく栄えることになりましたが応仁元年(1467)に始まった「応仁の乱」によって仁和寺は一山ことごとく焼失するという悲運に見舞われました。仁和寺の再建についてはその後、努力が重ねられましたが、なかなか思うようには実現しませんでした。 応仁の乱から約100年後の寛永11年(1634年)徳川幕府3代将軍家光の時代になって今日見られるような仁和寺として再興されるところとなりました。丁度その頃、京都御所を再建する時期に当たっていたので現在仁和寺金堂になっている「紫宸殿」の他、多数の建造物、金20万両の再建資金が仁和寺に渡され再興されかつての繁栄を取り戻す事が出来ました。その後、江戸時代終わりまで皇室出身者が門跡を務めましたが慶応3年(1867年)で第30世門跡純仁法親王が還俗したことで皇族が門跡となる宮門跡の歴史が終わりました。 仁和寺は平成6年(1994年)に古都京都の文化財の1つとしてユネスコの「世界遺産」に登録され新たな歴史を刻んでいます。(仁和寺HPより) 私的満足度「★★」:ここは金堂(写真上)が国宝ですが、五重塔も見事だし、お庭も素晴らしいです。令和4年3月再訪し御朱印を頂く。 |
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