所在地:京都市伏見区醍醐伽藍町 アクセス:JR山科駅〜バス 正式名称:深雪山醍醐寺@五重塔 だいごじ ごじゅうのとう(指定日付):8号(昭和26年6月9日)、A金堂 こんどう(指定日付):202号(昭和29年3月20日)、B清滝宮拝殿 せいりょうぐう はいでん(指定日付):162号(昭和29年3月20日)、C薬師堂 やくしどう(指定日付):198号(昭和34年6月27日)、D三宝院表書院 さんぽういん おもてしょいん(指定日付):170号(昭和29年3月20日)、E唐門 からもん(指定日付):164号(昭和29年3月20日)、 醍醐寺は聖宝理源大師が貞観16年(874)に上醍醐山上で地主横尾明神の示現により、醍醐水の霊泉を得、小堂宇を建立して、准胝、如意輪の両観音像を安置したのに始まる。そののち醍醐・朱雀・村上三帝のご信仰がよせられ、延喜7年(907)には醍醐天皇の御願による薬師堂が建立され、五大堂も落成するに至って上醍醐の伽藍が完成した。それに引き続くように下醍醐の地に伽藍の建立が計画され、延長4年(926)に釈迦堂が建立され、ついで天歴5年(951)に五重塔が落成し、下伽藍の完成をみた。 醍醐寺はその後、真言宗小野流の中心寺院として仏教史において重要な地位を占めている。そればかりでなく、政治の中心にあった人達との交渉も深く、例えば藤原一族に代わって大きい権力を持っていた権門源俊房の系統(醍醐源氏)の人が座主として幾代も続いた。そして座主勝覚(俊房の息)の時代に山上・山下共に伽藍がことごとく整備され、永久3年(1115)に三宝院が建立され醍醐寺発展の基礎が確立されたのである。 五重塔:平安時代(国宝)醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工、村上天皇の天歴5年(951年)に完成した。京都府下最古の建造物で内部の壁画は、日本密教絵画の源流をなすものといわれている。 三宝院表書院(国宝)庭に面して建っている表書院は、書院といっても縁側に勾欄をめぐらし、西南隅に泉殿が作りつけてあり、平安時代の寝殿造りの様式を取り入れたユニークな建築である。この表書院の東側に続いてある茅葺きの建物が純浄観(重要文化財)である。(醍醐寺HPより) 私的満足度「★★」:国宝建物が6つもあり、庭園も超有名なお寺です。次は上醍醐まで行きたいと思います。 唐門の修復が終わったので写真を追加でアップ(平成25年3月) |
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