ヴロツワフ



ヴロツワフ(Wroclaw)

千年以上の歴史を誇るヴロツワフは、一度は必ず訪れたい街のひとつ。ポーランドの西部に位置し、歴史的にドイツ領であった時代も長く、シロンスク(シレジア)地方の中心都市として文化・経済ともに栄えてきました。町を横切るオドラ川には12の島があり、それを結ぶのは100本以上の橋。12の島のなかにあるオストルフ・トゥムスキは歴史の町ヴロツワフでも一番古い地区といわれます。6世紀に存在したといわれるスラブ人の集落、13世紀にはモンゴル人の進入、14世紀にはボヘミア侯、さらにハプスブルク帝国に組み込まれた後、1945年まではドイツ領といろいろな国と文化の影響を受けたことで、ヴロツワフにはここだけしか出会うことができないコスモポリタンな文化遺産が数多く残っています。

町中にいる妖精の小人像の妖精(dwarf)
小人(ドワーフ)の誕生と出現には、ヴロツワフだけではなく、ポーランドという国自体の歴史を知る必要があります。
ポーランドは、ドイツやロシアという大国に囲まれ、歴史上そのような大国からの侵攻、占領、国土分割などを繰り返してきました。第二次世界大戦後に誕生した国も社会主義・ポーランド人民共和国でした。その共産主義体制に反対する運動は、1980年グダニスクで労働者たちのストライキが起こり、全国へと広がりました。その波は、ヴロツワフ大学の学生たちにも届き、反共運動団体がつくられ、壁などに書かれた反政治スローガンを警察などが塗りつぶした後に、さらに上書きするように描かれたのが「小人(ドワーフ)」でした。民主化運動の先駆け“連帯”のような力強さではなく、パフォーマンスやメルヘンなど柔らかい表現で改革を訴えていこうとした学生たちの表われでしょう。またグラフィティアートは1960~1970年にアメリカで始まりましたが、ポーランドにおいても、学生たちによってこのときに行われていたことは、あまり知られていないと思います。学生たちによる運動は、大勢で小人の格好をしたり、その姿でパレードを行ったりもしました。


   


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