セヴァロス・スティリアーノ宮美術館(Palazzo Zevallos Stigliano)
制作年が確実に分かっているカラヴァッジョ作品の中で、最後の作品とされている「聖ウルスラの殉教」(1610)が展示されている。
最初の主ジョヴァンニ・ゼヴァロスの命を受け、建築家コジモ・ファンザーゴにより1637〜1639年にかけて建てられたこの宮殿は、1653年にジョヴァンニの息子がファンデネインデンに売却した後、その娘ジョヴァンナがプリンチペ・ディ・ソンニーノと結婚したことにより、権利はコロンナ家に。19世紀には宮殿の内部は個々の部分に分かれ、別々の住人に貸し出されもし、また同世紀の最後には、「イタリア商業銀行」に宮殿全てが買い取られました。パラッツォ・ゼヴァヴァロス・スティリアーノは数々の家主をその歴史に刻みます。家主が変わるたびに、宮殿内も修繕・改築を繰り返し、その都度歴史的芸術家がそれに参加しました。コロンナの時代には、ルカ・ジョルダーノがフレスコ画を受け持ち、しかし同家の末期に複数の住人に貸し出されたことにより、それらが失われてしまったようです。現在見られる宮殿は、建築家グリエルモ・トゥーリによるネオクラシシズムのスタイルで、内装はジェンナーロ・マルダレッリ、ジュゼッペ・カンマラーノらが担当したものです(彼らは、ナポリ王宮も手がけました)。
「カラヴァッジョ・聖女ウルスラの殉教」(1610年5月)
聖ウルスラは、1000人の乙女と共に巡礼の旅をしている最中、ケルンでフン族の王アッティラによって殺されたという聖女。この絵は、聖女ウルスラに向かってアッティラが放った矢が、聖女の胸に命中する瞬間を描いている。聖女はフン族の男たちに囲まれて、うつむいている。矢が胸にあたっても苦しみ驚く様子は見せない。その聖女の静謐な様子が、暗い背景から浮かび上がるところは、カラヴァッジオの到達点を示す出来といえよう。
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