ヌオーヴォ城(Castel Nuovo)
"新しい城"という意味を持つこの城は、以前からナポリに存在していた卵城、カプアーナ城と区別するためにこの名がつけられました。城を建設したシャルルアンジューですが、実際には彼は城に住むことなくこの世を去り、息子のシャルル2世より王宮としてつかわれ始めました。
フランス・アンジュー家のナポリ王カルロ1世の命でナポリ王宮の北東に建てられたのがヌオーヴォ城です。ナポリにはデッロー ヴォ城(卵城)やカプアーノ城がありましたが、
デッローヴォ城はナポリ湾内に位置し、敵の侵入に 、カプアーノ城は港から遠すぎたため、中間地点に新たな城が必要とされたのでした。
カルロ1世の孫ロベルト王時代、城にはボッカチオなど文学者や芸術家が多く訪れ、栄華を極めたものの、その痕跡はほとんどの残っていません。次の支配者スペインのアラゴン家が改修したからです。
アンジュー家とアラゴン家は南イタリアの覇権を争う宿敵同士でした。両家の争いに終止符が打たれたのは、 1442年、アラゴン家アルフォンソ5 世によるナポリ攻略でした。
ナポリ王アルフォンソ1世となった彼は、ナポリ到着後ただちにヌオーヴォ城の全面改築を行いました。防御用の円塔5基を備えた堅牢な城は、16世紀初頭までナポリの重要な防衛拠点となったのでした。
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