ノイシュヴァンシュタイン城は、その塔、本格的な様式、砲塔がロマン主義様式の象徴的な例であり、バイエルンとドイツのシンボルとして認識されている。
ルートヴィヒ2世は、1867年に旅先で訪れたアイゼナハのヴァルトブルク城とピエールフォン城の2つの城からインスピレーションを受けた。この2つの城をモデルにクリスチャン・ヤンクが図面を作成し、建築家エドゥアルド・リーデルが建設を開始した。城はネオ・ゴシック様式として計画されたが、現在ではロマネスク様式の壮麗な建物として建っている。ルートヴィヒ王は300人以上の労働者を雇い、石油ランプを使って昼夜を問わず働き続けた。バイエルン城の建設には、近代的な技術しか使われていない。
この城はバイエルン王ルートヴィヒ2世を体現している。この有名なバイエルン王は狂王として知られている。在位中の1869年、彼はノイシュヴァンシュタイン城の建設を夢見、命じた。ルートヴィヒ2世は幼少期をホーエンシュヴァンガウ城で過ごした。彼は生涯、うつ病と内気さに苦しんだ。父であるバイエルン王マクシミリアン2世が亡くなったとき、ルートヴィヒ2世はまだ18歳だった。即位後、ルートヴィヒ2世は公の生活から逃れる場所を作ろうと考えた。彼はホーエンシュヴァンガウの城跡に新しい城の建設を始めた。
王はノイシュヴァンシュタインの建設に最高の技術を用いたが、もはや宮廷は防衛的、戦略的な目的を持っていなかった。王はノイシュヴァンシュタイン城を3年で完成させる予定だったが、16年以上かかってしまった。残念ながら、ノイシュヴァンシュタイン城は完全に完成することはなかった。ルートヴィヒ2世は、夢の城の建設が終わるのを見届けることなく、1886年に謎の死を遂げたのである。ルートヴィヒ2世が亡くなってから、城の建設はストップした。殺害されたとか、自殺したとかいう噂もあるが、国王の死はいまだ謎に包まれている。ルートヴィヒ2世の死から7週間後、狂王城は一般に公開された。
(この城の入場は非常に厳格で、チケット要事前予約、受取は入場2時間前まで、入場時間は5分刻みで設定され遅刻は入場不可となる模様。入場料15€、内部写真撮影禁止)
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