ポツダムとベルリンの間にかかるグリニカ橋。東西ドイツ時代には、東ドイツのポツダムと西ベルリンの国境の橋となっていました。元々この場所にあった橋は、第二次世界大戦で爆破され、その後、東西ドイツ時代に再建されました。当時、統一を願って“統一の橋”と名付けられたものの、やがてベルリンの壁の建設とともに、国境である橋の中央には検問が設置され、自由な往来は閉ざされてしまいました。ここでは、捕虜やスパイの交換が行われていたといいます。
1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊。この橋にも多くの人が集まり、橋の中央の検問を越えて喜びを分かち合ったそうです。壁の崩壊で、名実ともに橋は“統一の橋”となったのです。
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