ボン



ケルン選帝侯のコンラート1世は1244年に、ボンに城壁、塔、寺院並びに墓地の整備を命じた。次侯のエンゲルベルト2世は、1263年にケルンを追われ、ボンに居を構えた。以来、ボンは聖職領邦の首都として繁栄した。1689年のボン包囲戦で街が完全に破壊されると、その復興の過程でロココ調の街並みが形作られた。選帝侯宮殿(Poppelsdorfer Schloss)や市庁舎旧館(Altes Rathaus)など、今日に残る歴史的建造物の多くがこの時期に建設されたものである。1761年から1784年まで在位したマクシミリアン・フリードリヒは、ボン大学の前身となるケルン選帝侯領ボン・アカデミーを設立するとともに、ボンで生まれたルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンを支援した。1794年にフランス革命軍に占領され、領邦は消滅した。
戦後、西ドイツの暫定首都として国際舞台に登場し、ベルリン遷都後は国際機関が集まる国際都市となった。

「●ベートーヴェン記念碑」(Beethoven-Denkmal)
ボンの中心にある大聖堂広場にあるベートーヴェン記念像は、背が高く立っているベートーヴェンが右手にペンを持ち、左手に楽譜を持って遠くを見つめ、その考えに深く没頭しています。作品、ベートーベンの酔ったジェスチャー、そして広場が浮かび上がる人々の活気ある雰囲気は、非常に明白なコントラストを形成することがよくあります。ベートーヴェン記念像のスケッチは、当時の彫刻家であるドレスデン芸術アカデミーのエルンストヘーネル教授によって描かれ、彫刻は彫刻家でブロンズキャスターのエルズギーサーによって完成されました。

ベートーベンの家

ボン大学
聖レミギウス教会
ミュンスター教会


 

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