ルクセンブルク



【世界遺産】ルクセンブルク市:その古い街並みと要塞群 (100名城)
(City of Luxembourg: its Old Quarters and Fortifications)

ルクセンブルク市:その古い街並みと要塞群とは、ルクセンブルクにある世界遺産で、首都ルクセンブルク市の丘の上にある旧市街と要塞を指しています。ルクセンブルクは首都と国名が一緒です。
旧市街には、『ヴェンツェルの環状城壁』の一部が今も残り、ヨーロッパの代表的ゴシック建築といわれる『ノートル・ダム大聖堂』(1621年建造)や、中央ヨーロッパでは珍しいイスパノ・モレスク様式の浮き彫りが特徴の『大公宮殿』などが、かつての要塞都市の繁栄ぶりを今に伝えている。

<ボックの砲台>
軍事的利点から中世の諸外国がこぞって手に入れたがったかつての要塞都市。現在でもその広大な地下要塞は世界遺産として一部が保存され、一般公開されています。
723年古代ローマ時代からこの地はフランスのランスからトリアーに抜けていく街道途中にある砦として使われていたものであることが分かっています。ルクリンブリュクLucilinburhuc(小さな城)と呼ばれていたこの場所をアルデンヌのジークフリートがトリアーの963年サンマクシマン修道院と条約を交わし、手に入れたときから残るボックの砲台は時代によって様々な勢力に翻弄され続けてきたルクセンブルクの歴史そのものといえます。
谷を見下ろせる断崖にジークフリートは居城を構え、要塞を築きます。礼拝堂は魚市場の近くに建てられ、現在同じ場所には聖ミカエル教会を見ることが出来ます。軍事目的としても格好の場所・地形にあり、後に「北のジブラルタル」と称される事になるルクセンブルクは15世紀(1473年)にはブルゴーニュ公領、(1477年)ハプスブルク家、16世紀中ごろ(1555年)のスペイン領ハプスブルク家、17世紀末のルイ14世率いるフランス、18世紀初頭のオーストリア領ハプスブルク家、17世紀後半のフランス・ナポレオン軍、プロイセン勢力などに統治されていきますが、要塞としての用途は重要度を高め続け、領主が変わるたびに破壊と建造が続けられました。1644年、スペイン軍によって城の地下道が掘られました。

ノートルダム大聖堂
大公宮殿
サンミッシェル教会


 

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