41佐賀県 川上峡温泉



川上峡温泉(かわかみきょうおんせん)

所在地:佐賀県佐賀市大和町大字梅野120

アクセス;佐賀駅からバス

泉質:単純弱放射能泉 低張性弱アルカリ性低温泉 無味・無臭・無色透明(熊の川温泉 湯ノ原源泉と同じ)

川上峡は肥前風土記に荒ぶる神の住まう地として登場します。

行き交う人の半分を殺す神を鎮めるため、当時土蜘蛛と呼ばれた朝廷にまつろわぬ民の大山田女と狭山田女という二人の女性が土で作った人形を祀ったところ、それ以後被害は治まりました。この功績により二人は賢女(さかめ=賢い女性)と呼ばれこれが「さが」の語源の一つになったと言われています。

また、川上峡のシンボルとも言える與止日女神社は、聖徳太子のお祖父様に当たる欽明天皇の時代にはすでにその存在が知られておりました。現在の祭神は神功皇后の妹君世田姫または豊玉姫(竜宮の乙姫)であると言われてますが、創建当初は龍登園や巨石パークが有る金敷城山に点在する巨石群自体が祭神だったと言われています。(世田姫も石神であると肥前風土記に記されています)佐賀鍋島家の別荘十可亭が置かれ、藩主の保養地とされておりました。また、藩主に献上する鮎などを釣る川として指定された時期もあり、他の者が勝手に釣りを行うとご禁制に触れたものとして処刑されたこともあったとか。

幕末、“佐賀の妖怪”と呼ばれた鍋島直正は特にこの地を愛し、十可亭で施策を練ったり、政務を行ったりし、死後もこの地に墓所を設けさせました。

明治以降は景勝地として愛され、明治の重鎮大隈重信候もこの地で休まれたりしました。(龍登園の駐車場に大隈重信候が松をお手植えされたという石碑が残っています。松は現存しませんが…。)

また、大正2年に佐賀市街から軽便鉄道が引かれたことで與止日女神社詣で等を楽しむリゾート地として賑わいました。(軽便鉄道は、昭和十二年にバスに一本化され廃止。)(登龍園HPより)

 

入湯:登龍園(日帰り)

私的満足度「★★」:與止日女神社参拝後、福岡行高速バスに乗る前に覗いてみました。昔はこんなところにも電車が走っていたとは驚きです。



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