34広島県 三蔵稲荷神社



住所:福山市丸之内一丁目8-7

アクセス:福山駅から徒歩

三蔵稲荷神社は、福山の開祖、水野勝成公が福山城を築城する時に、守護神として祀った神社です。

勝成公は二十一歳の時、三河国刈屋の城より放浪と武者修行の旅に出ました。その際に、祖父、忠政公が京都伏見稲荷大社より受けられたご神体を授かりました。勝成公は、四国・九州での戦においてもご神体を肌身離さず持ち続け、お稲荷さんのご加護を受けることができました。元和五年(1619年)、この福山の地に城を築き、城内の北側(鬼門)に備後の国の守護神としてお祀りしたのが、三蔵稲荷神社の起源です。以来、代々の福山城主が直祭し、藩内には多くのご分社がありました。

福山藩の初代城主・水野勝成が築城と同時に城の鬼門に当たる場所に城内鎮守を目的として、刈谷城(愛知県・勝成の祖父の城)から移して祀ったものだそうで、創建は江戸時代初期となります。

 社名には面白い伝承が残っており、それによると「初代福山藩主・水野勝成公の行列にいつ頃からか謎の侍が護衛に付き、名を尋ねると”城の北側に住んでおる三蔵と申す”と言い去った事に勝成が感銘を受け以後手厚く祭った。」という話です。謎の侍が護衛に付くなどとは現実にはあり得ないお話ですが、こんなお話が作られるほど初代藩主・水野勝成公が庶民に慕われ親しまれていたと云うことなのでしょうか?

 以後、代々の城主が直祭し、阿部時代になっても連綿と受け継がれ、旧藩内には分社も多数ある庶民信仰の篤い神社でもあります。(三蔵稲荷神社HPその他より)

私的満足度「★★」:「さんぞう」稲荷神社と読みます。ここもお城の隣にあります。石鎚神社の遥拝所との看板もありましたが、こんなところから石鎚山を拝めるのかと思いました。


 

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