所在地:岡山県岡山市丸の内 アクセス:JR山陽本線岡山駅〜バス 文化財:国重要文化財、国史跡 慶長2年(1597)、豊臣五大老の一人・宇喜多秀家が築城した岡山城。三重六階の堂々たる天守閣は織田信長の安土城天主閣を模して築かれたと伝えられ、全国的にも珍しい不等辺五角形の天守台をしています。関ヶ原合戦以前の古式を伝える貴重な天守です。また、当時は築城技術の発達が著しい時期で、岡山城は豊臣秀吉の大坂城、毛利輝元の広島城と並んで近世城郭の魁となりました。その建築は8年にわたる大事業で、旭川の流れを変えて本丸の北面?東面を巡らせ、堀の役割を持たせました。 黒い下見板張りの外観から別名「烏城(うじょう」)と呼ばれ、また金の鯱を挙げていたと伝えられるため、「金烏城」の名もある名城です。 @天守閣:宇喜多秀家が築いた天守閣は、石垣からの高さが20.45メートル、2階建ての建物を大中小3つ重ねた3層6階の構造をしています。内部には、城主が生活をしていた「城主の間」があって、天守閣としては全国的にも珍しい設備でした。惜しくも天守閣は昭和20年に空襲で消失してしまい、現在の天守閣は昭和41年に復元されたものです。 A月見櫓:第4代城主・池田忠雄が建てた隅櫓(すみやぐら)。最上階に廻縁をつけた楼閣風で「月見櫓」と呼ばれます。幸いにも戦火を免れており、創建時の姿を今に伝えています。国指定の重要文化財です。 B西の丸西手櫓:名君・池田光政が隠居した西の丸の西端に建つ2層2階の隅櫓です。月見櫓とともにも戦火を免れており、創建時の姿を今に伝えています。国指定の重要文化財です。 C城門:岡山城には数多くの櫓や城門がありましたが、明治時代に石山門を除いて取り払われ、その石山門も空襲で焼失しました。現在見ることができる不明門(写真)、廊下門は天守閣と同時に復元されたものです。 D石垣:岡山城の石垣は、宇喜多時代の「野面積」、小早川時代の「算木積」、池田時代の「打込萩」が見られます。中でも古式の野面積は、全国的にも珍しい貴重な文化遺産です。(岡山城HPより) 私的満足度「★★」:空襲で焼けてしまうまでは国宝であった城。天守閣の美しさではNO1と言ってよいでしょう。後楽園(特別名勝)からも臨めます。 |
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