所在地:鳥取県米子市尾高1025 アクセス:JR米子駅~バス 文化財:奥宮の本殿・幣殿・拝殿および末社下山神社本殿・幣殿・拝殿(重文) 伯耆大山は、天平5年(733年)に成立した「出雲國風土記」に火神岳(ほのかみのたけ:大神岳)として見え、平安時代の「続日本後記」や「日本文徳天皇実録」、「日本三代実録」にも「伯耆國大山神」と記録されていることからも、大山が古代から神坐す山として信仰されてきたことがうかがえます。 「大山寺縁起」によれば、修験の地として始まった大山の山腹に金蓮上人(きんれんしょうにん)によって寺が建てられるようになったのは、奈良時代の頃とされます。その後、天台宗の影響を受けて天台寺院となりました。また、中門院(ちゅうもんいん)、南光院(なんこういん)、西明院(さいみょういん)の三院が12世紀までに成立しました。伯耆大山寺として、この三院を総称して呼ぶようになったのは室町時代以降のことです。各院は大日如来、釈迦如来、阿弥陀如来を信仰し、三院の中心理念として地蔵菩薩が祀られました。その地蔵菩薩が大智明権現(だいちみょうごんげん)という称号を受け祀られた社が大智明権現社であり、現在の大神山神社奥宮です。 伯耆大山寺が、寺と神社に分かれるようになったのは、明治8年の神仏分離政策による大山寺号の廃絶によるもので、この時に伯耆大山寺から大神山神社へと名称が変えられることになりました。明治36年には大山寺号の復興が認められましたが、大智明権現社(奥宮)と下山社(しもやましゃ:下山神社)が神社名義のまま残ることとなり、現在に至っています。 大神山神社奥宮は、承応2年(1653年)に建立されましたが、寛政8年(1796年)に火災で焼失し、文化2年(1805年)に京都の大工、三輪平太によって社殿再建がなされました。壮大な権現造で、拝殿・本殿二棟の建造物を幣殿で結び、拝殿の両側に長い翼廊を設け、屋根は柿葺、入母屋造です。また、拝殿は壮大な唐破風をつけ、柱間は三つあり、中央入口の柱間は内側より広く、柱は円柱で50cm近くあります。幣殿内の格天井には美しく彩色された234枚もの花鳥人物が描かれ豪華を極めており、国の重要文化財に指定されております。(大神山神社HPより) 私的満足度「★★」:米子駅からのバス本数が少ないのと、御朱印受付午後4時で終了なのが厳しいです。バス停から滑りやすい石段の登山も結構こたえました。
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