30和歌山県 長保寺

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所在地:和歌山県海草郡下津町上
アクセス:紀勢本線下津駅〜タクシー
正式名称:長保寺本堂・多宝塔・大門 ちょうほじ ほんどう・たほうとう・だいもん
国宝番号(指定日付):129〜131号(昭和28年3月31日)
長保寺(ちょうほうじ)は、和歌山県海南市下津町にある天台宗の仏教寺院。

 平安時代中期の長保2年(1000年)、一条天皇の勅願により 円仁(慈覚大師)の弟子の性空(しょうくう)によって創建され、年号を取って「長保寺」と号したという。現存する本堂、多宝塔、大門は やや時代が下って鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて再建されたもので、本堂・塔・大門とそろって国宝である寺は奈良の法隆寺と長保寺だけ。また、紀州藩主紀州徳川家歴代の墓所がある寺として知られ、大名墓所としては全国一の規模(境内の広さは約15,000坪)。 敷地全体が国指定史跡である。寛文6年(1666年)、当地を訪れた紀州藩初代藩主徳川頼宣は、長保寺を紀州徳川家の菩提寺に定めたとのこと。
 境内東斜面には広大な藩主廟所があり、頼宣以降の歴代藩主が眠っている。ただし、後に将軍になった 5代吉宗(後の8代将軍)と13代慶福(よしとみ、後の14代将軍家茂)の墓は東京にある。頼宣がこの地を選んだ理由の一つといわれているのは、「周囲が山に囲まれ要害堅固である」という頼宣の言葉が残されおり、万が一の時の陣地として利用することを考えていた様だとのこと。また、長保寺が創建された平安時代には、すぐ近くに熊野街道があり大変賑わっていたとのことです。ところで、国宝の多宝塔は、全国で6基あり、和歌山には そのうちの3基が、高野山の金剛三昧院、根来寺、長保寺にあります。そして他の3基は、滋賀の石山寺、広島の浄土寺、泉佐野市の慈眼院にあるそうです。
 なお 奥方の墓地は、同じく 紀州徳川家の菩提寺である 和歌山市吹上(和歌山城の近く)の報恩寺。(長保寺HPより)

私的満足度「★★」:敷地全体は国指定史跡であることも頷けます。多宝塔は小振りですが美しい出来栄え。また受付のおばあちゃんも良い味出しています。

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