住所:奈良県桜井市三輪1422 アクセス:JR三輪駅〜徒歩 また、『日本書記』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとあります。そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂みたまとして顕現けんげんされ、三輪山に鎮しずまられたということです。 この様に記紀ききの神話に創祀そうしの伝承が明瞭に記されていることは貴重なことで、当社が神代に始まった古社中の古社と認識されており、ご祭神さいじんの神格が如何に高かったかを物語っていると言えます。 そして、ご祭神さいじんがお山に鎮しずまるために、当社は古来本殿を設けずに直接に三輪山に祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の原初げんしょの神祀りの様を今に伝えており、その祭祀さいしの姿ゆえに我が国最古の神社と呼ばれています。「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれ、第十代崇神すじん天皇の時代には国造り神、国家の守護神として篤あつく祀まつられました。平安時代に至っても大神祭(おおみわのまつり)、鎮花祭(はなしずめのまつり)、三枝祭(さいくさのまつり)が朝廷のお祭りとして絶えることなく斎行され、神階は貞観じょうがん元年(859)に最高位の正一位しょういちいとなりました。延喜式えんぎしきの社格は官幣大社かんぺいたいしゃで、のちに大和国一之宮やまとのくにいちのみやとなり、二十二社の一社にも列なるなど最高の待遇に預かりました。 中世には神宮寺じんぐうじであった大御輪寺だいごりんじ や平等寺を中心に三輪流神道が広まり、 広く全国に普及し人々に強い影響を及ぼしました。近世に入ると幕府により社領が安堵あんどされて三輪山は格別の保護を受け、明治時代にはその由緒によって官幣大社かんぺいたいしゃとなりました。現在も国造りの神様、生活全般の守護神として全国からの参拝があり、信仰厚い人々に支えられて社頭は賑わっています。(大神神社HPより)
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