29奈良県 威徳天満宮



所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山2500
アクセス:吉野駅〜バスなど

威徳天満宮は蔵王堂の右脇に立つ。吉野八所明神の一つ。野際の鎮守社。

〔威徳天満宮の縁起〕
天慶四年(941)八月、道賢(日蔵)が笙窟で修行中絶息して冥途巡りをし、延喜帝(醍醐天皇)および大政威徳天(菅原道真の霊)に会ったという縁起(「扶桑略記」所載「道賢上人冥途記」)にちなむ社である。 この日蔵冥途巡りの説話は天神信仰の上で重要な位置を占め(北野天神縁起絵巻)、数ある天神社の中でもこの威徳天満宮が他に異なる位置にあることを示している。 「太平記」に 「冥途ニテ正ク勅ヲ承リシ事ナレバトテ、則吉野山ニ廟ヲ建、利生方便ヲ施シ給シ天神ノ社壇是也」 とあり、「吉野拾遺」に 「中にも大ゐとく天神のみやしろは、日蔵上人のめいどにて、延喜のみかどのちよくをうけたまひて、此ところにいとなませ玉へるとかや」 とあり、また「大峯山上蔵王堂勧進帳」(集成一部十三)にも 「日蔵上人も同し窟に数年、読経の功つもり、連る観行の徳熟して、蔵王権現の示現によって、天慶年中には冥途に往還し、延喜帝の勅により天満天神の社、吉野山にきつけり、これ聖廟の始也」 とある。


〔威徳天満宮の創建〕
「金峯山秘密伝」の蔵王の行法中に「山内神祇冥衆」の一つとして「天満」が記され、同書に画かれる御嶽曼荼羅にも吉野八社の一つとして「天満」があり、また別の箇所に本地は十一面とある。また「金峯山創草記」は「諸神本地等」で、金剛蔵王・役行者のすぐ次に「天満天神 十一面」をあげている。これから鎌倉時代には現在と同じく伽藍の鎮守として蔵王堂の脇に祀られ、金峯山信仰の上でも重要な社であった。京都の北野天満宮の創祀は十世紀中頃であり、威徳天満宮の創祀も平安時代に遡ると思われるが明証はない。


私的満足度「★★」:金峯山寺の国宝蔵王堂の傍らにひっそりあります。また御朱印は吉水神社でいただきます。




 

目次にもどる

直線上に配置