所在地:貝塚市木積 アクセス:水間鉄道水間駅〜タクシー 正式名称:孝恩寺観音堂 こうおんじ かんのんどう 国宝番号(指定日付):148号(昭和28年11月14日) 聖武天皇の勅願を受けた、行基によって建立されたと伝えられ、畿内四十九院の一つであるとされる寺院。現在の御堂は、鎌倉時代後期に再建されたもので、大阪府下で最古の部類の木造建築物として国宝に指定されている。建立時に釘を使用していなかったとされることから、別名「釘無堂」と呼ばれ、平安時代中期の本尊阿弥陀如来をはじめとする仏像群19体と板絵1枚が安置されており、いずれも重要文化財に指定されている。(貝塚市観光協会HPより) 人皇四十五代 聖武天皇が僧、行基に命じて畿内に四十九院を造営されるに当り、その内の1院をこの地、木積と定め、木積の山々の良材を採って、建立されました。神亀三年(726年)春三月のことです。当初は七堂伽藍が整然とそびえていた事でしょう。ところが足利時代になり山名、大内二氏の乱に巻き込まれ、お堂や建物の大半が焼かれてしまいました。 幸に仏像は程近い池の中に住民が投げ込み辛うじて災禍を免れ、後年泥の中より引揚げられ、戦火の難を免れた釘無堂内に安置されたと伝えられています。 其の後天正十三年、豊臣秀吉が紀州根来寺を攻めた時にも戦火に遭い、残っていた僧房等ことごとく焼失したが、幸にして釘無堂のみ僅かに災難をまぬがれて現在に及んでいます。しかしながら現在の堂は創建当時のものでなく鎌倉時代の代表的な建築物です。それは鎌倉時代になってから破損がはげしくて改築したものと考えられます。 現存している十九体の仏像及び一面の板画はことごとく弘仁佛(又は貞観佛ともいう)で日本美術史上画期的な代表作です、又特に奈良、京都等に於ける仏像には見られない特長をもつものとして、有識者から高く推賞されています。 いづれも一木造で重要文化財(旧国宝)に指定せられているものです。(孝恩寺HPより) 私的満足度「★」:水間鉄道に乗れたことが私的には満足。観音堂はまあこんなものかといった感じです。 |