27大阪府 叡福寺



所在地:大阪府南河内郡太子町太子2146

アクセス:喜志駅〜バス

文化財:聖霊殿・多宝塔(国重文)、金堂・鐘楼・隔夜堂(石造阿弥陀如来坐像)(府重文)

ご詠歌:磯長(しなが)なる み寺にいまも うまやどの みこのみたまは しずまりてます

この磯長山 叡福寺は、聖徳太子と、その二ヶ月前になくなられた太子の生母穴穂部間人(あなほべはしひと)皇后と、一日前(一説には同日)に亡くなられた太子夫人膳部大郎女とを葬ってある。いわゆる三骨一廟である。

叡福寺 / 写真2 太子は二十七歳の時、この叡福寺の地を御廟の候補地とし、周囲を寺院地とされ、四十七歳の時、廟をお造りになられた。太子没後、聖武天皇の勅願により太子のお墓をお守りご追福を祈るため、神亀元年(724年)七堂伽藍が完成した。このゆえに叡福寺は、太子寺、御廟寺、聖霊院などと呼ばれる。

石段を上り、南大門を入ると左手に宝塔、金堂、聖霊殿があり、中央奥の石段をさらに上ると、松や常磐木に囲まれた太子廟がある。また、境内には浄土堂、上の御堂、念仏堂など多くの建造物があるが、何といっても、聖霊殿に心がひきつけられる。聖霊殿は、慶長八年(1603年)、後陽成天皇の勅願により、豊臣秀頼が再建したもので、御本尊は聖徳太子十六歳のときの御尊像である。(新西国霊場HPより)

私的満足度「★★」:「新西国霊場客番札所」という微妙な札所にもなっています。聖徳太子のお墓がある結構な大きさのお寺でした。





目次にもどる

直線上に配置