所在地:尼崎市長洲本通3丁目5-1
アクセス:尼崎駅~徒歩
御祭神の菅原道真公は学問の神様として尊崇を集められ、道真公が筑紫の大宰府に左遷されて、この長洲の浦に舟を停め暫く寓居されたとき、村の主は道真公から人しれず移る泪は津の国の長洲を見えて袖ぞ朽ちぬると記された自画像を賜わったという。村人は宰相の徳を栄えて叢詩を作りその画像を奉祀したが、後世この画像を領主青山某が折りに強いて持出したところ凶事多く起こりために返却したと言い傳えがある。
境内地には菅公足洗いの池が現存し、本殿は一間社流れ造り、檜皮葦で慶長十二年の建立、桃山時代の重要な文化財である。(境内掲示より)
長洲には「鶏を飼わない」「ネギを作らない・食べない」といった菅原道真公にまつわるとされる習慣が伝えられている(『尼崎市史』第10巻)。
長洲で潮待ちをすることになった道真が、「ここはどこか」と村人に尋ね、村人は「ここは長洲と申します」と答えたところ、「大宰府に流される身が、しばらくとどまる場所もやはり『ながす』というのか」と嘆いて「人知れず おつる涙は 津の国の 長洲と見えて 袖ぞ朽ちぬる」と詠んだとも伝えられる。
これを聞いた村人たちは、道真公を気の毒に思い、あたりに育つ木や草までもがしおれたが、川上から流れてきたネギだけはしおれずにいたので、村の人はこれを憎らしく思って、それ以来、長洲の村ではねぎを作らなくなったと言われる。
いよいよ道真公が出航する日が明日に迫り、一番鶏の声を合図に出航と決まりました。その夜、道真をよく思っていない者が、鶏小屋のとまり木になっている竹に熱い湯を流した。足を温めるられた鶏は、夜が明けたのかと勘違いし、夜明け前に高く鳴いたため、道真公たちの船は出航していった。後になって、村人たちは鶏が勘違いして鳴いたことを知り、鶏を飼うことをやめてしまったとの言い伝え。(長州天満宮HPより)
私的満足度「★★」:尼崎の駅から歩くと10分強といったところでしょうか。どなたもいませんでしたので写真撮影のみです。菅公足洗いの池がありました。
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