所在地:京都市東山区本町 アクセス:JR奈良線東福寺〜徒歩 正式名称:@東福寺三門 (とうふくじ さんもん)国宝番号(指定日付):49号(昭和27年3月29日)、A竜吟庵方丈(りょうぎんあん ほうじょう)国宝番号(指定日付):214号(昭和38年7月1日) 摂政九条道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。嘉禎2年(1236)より建長7年(1255)まで実に19年を費やして完成しました。 工事半ばの寛元元年(1243)には聖一(しょういち)国師を開山に仰ぎ,まず天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備しましたが,元応元年(1319),建武元年(1334),延元元年(1336)と相次ぐ火災のために大部分を焼失しました。 延元元年8月の被災後4ヶ月目には早くも復興に着手し,貞和3年(1346)6月には前関白一条経道により仏殿の上棟が行われ,延元の火災以降実に20余年を経て,再び偉観を誇ることになりました。建武被災の直前にはすでに京都五山の中に列せられていましたから,再建後の東福寺は完全な禅宗寺院としての寺観を整えることとなりました。 仏殿本尊の釈迦仏像は15m,左右の観音・弥勒両菩薩像は7.5mで,新大仏寺の名で喧伝され,足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護修理も加えられ,東福寺は永く京都最大の禅苑としての面目を伝え,兵火を受けることなく明治に至りました。 明治14年12月に,惜しくも仏殿・法堂(はっとう),方丈,庫裡(くり)を焼失しました。その後,大正6(1917)年より本堂(仏殿兼法堂)の再建に着工,昭和9(1934)年に落成。明治23(1890)年に方丈,同43(1910)年に庫裡も再建され,鎌倉・室町時代からの重要な古建築に伍して,現代木造建築物の精粋を遺憾なく発揮しています。また,開山国師の頂相,画聖兆殿司(ちょうでんす,明兆)筆の禅画など,鎌倉・室町期の国宝・重要文化財は夥しい数にのぼっています。(東福寺HPより) 私的満足度「★★」:このお寺は紅葉の素晴らしさと多くの庭園で有名です。 |
東福寺の庭園 もたくさんあるので 「訪庭記」参照 |