所在地:京都市南区壬生通八条角
アクセス:京都駅~市バス
御祭神
[主祭神] 六孫王大神(源 経基)
[相殿] 天照皇大御神 八幡大神(源氏の守護神)
六孫王は、清和天皇の六男を父として生まれ、経基と名づけられたが、皇室では六男の六と天皇の孫ということで六孫王と呼ばれていた。
十五才にて元服、源の姓を賜わり、先例に従い臣籍に加えられたとある。
承平・天慶の乱に東国・西国の追討使を承り、現地に赴き凱旋の後、鎮守府将軍に任じられた。
王は現在の社地に住居を構え、臨終に臨み「霊魂滅するとも龍(神)となり西八条の池に住みて子孫の繁栄を祈るゆえにこの地に葬れ」と遺言された。
王の長子満仲公は遺骸を当地に埋葬され(本殿後方に石積の神廟がある)その前に社殿を築いたのが、六孫王神社の始まりである(平安時代中期)。
境内中央の池を神龍池といい、その側に満仲誕生のおり井戸上に琵琶湖の竹生島より弁財天を勧請し、安産を祈願し産湯に使ったと云う、誕生水弁財天社がある(6月13日弁財天御開帳祭)。
江戸時代五代将軍綱吉の時代に現在の本殿・拝殿等建物が再建された。毎年十月体育の日に例祭(再興が元禄より始まり宝永年間に完成したゆえ別名“宝永祭”とも謂われる)が行われる。
王の後裔には源義家・頼光・頼政・木曽義仲・頼朝等、また足利・新田・細川・島津・山名・今川・明智・小笠原・徳川等の武将が多数輩出され、それぞれ子孫繁栄されている。
昔は、六ノ宮権現とも呼ばれ、今昔物語に「六の宮」それを基に芥川龍之介が「六の宮の姫君」にも載せている。小泉八雲著の「怪談」には、「弁天の同情」と題して不思議な夫婦の出会いの話が紹介されている。(京都十六社めぐりHPより)
私的満足度「★★」:「ろくそんのおうじんじゃ」と読みます。清和源氏発祥の宮だそうです。バス便が悪く歩くにしても京都駅から20分と中途半端な距離にあるので、市バス「東寺東門」バス停から訪問。境内は意外に広く太鼓橋などもあり素敵な所でした。
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