住所:京都市中京区新京極通り四条上る中之町537番地 アクセス:阪急河原朝駅〜徒歩、他 当天満宮は平安時代前期の十世紀初頭、学問の神となられた菅原道真公(菅公)の生家『菅原院』に創建されました。 菅公薨去の後、菅原院は『歓喜寺』と寺名に改称、その後、嵯峨天皇の皇子源融公の旧邸六条河原院に移山、塩竈宮を鎮守に天満大自在天神をお祀りしました。 三百年後、この地は、後に、時宗道場、歓喜光寺と称される京都八幡の善導寺に寄進され、同時に、歓喜寺(菅原院)は『天満宮』に改められ崇敬、奉祀されました。 当錦天満宮は歓喜寺に由来しており、又、菅公聖跡二十五拝の第二とされるのはこの伝承によるものです。 そして、「歓喜光寺」の創建から274年後、桃山時代天正年間に行われた豊臣秀吉の都市計画によって、時宗四条道場としても有名な「金蓮寺」の敷地に移転。以後400年余、「錦天満宮」として同地に鎮座しております。このような歴史の中、享保十四年(1729年)には前関白輔実公の申請で唐破風獅子口を許され、明治五年(1872年)には神仏分離令によって社が独立。「歓喜光寺」は東山五条へ(後に山科へ)と移り、残された神社は、同年、新京極通開通の際に社地を縮小し、現在に至っております。(錦天満宮HPより) 私的満足度「★★」:新京極、錦のど真ん中にあります。外人も多く賑わっていました。 |