住所:京都市上京区寺町通広小路上ル アクセス:JR京都駅〜バス 実萬公は、才色兼備菅原道真公の生まれかわりと崇められ、当時の人々から今天神様と称せられたといわれ、早くから王政復古の大儀を唱えられ、明治維新の原動力となられた方です。明治2年、明治天皇から「忠成公」のおくり名を賜わり、明治18年10月、旧梨木町の今の地に梨木神社を創建、別格官幣社に列せられたもので、あまたある明治維新の元勲、元老、志士の中で唯一人公がお祀りされました。 実美公は、父君の遺志を継ぎ、朝威回復、攘夷決行の急進派少壮公卿の中心人物として活躍し、あらゆる困難に耐え、危機に遭遇されながらも明治維新の大業を達成され、大正4年の大正天皇即位式にあたり第二座御祭神として梨木神社に合祀されました。 このように父子揃って同じ道を歩み、志を同じくし、御祭神として同一の別格官幣社に合祀されるということは実に稀有な例です。 両公は、学問・文芸の神様として崇敬を集めており、境内にはそのご神威にふさわしく江戸後期の国学者で雨月物語の著者である上田秋成翁や、日本最初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士の歌碑が建立されています。 拝殿のかたわらにある天壌無窮の石碑は、実萬公が天壌無窮と軸に書かれ、日夜皇室の弥栄をご祈念されていたものを石碑に刻んだと伝えられています。明治天皇はこのことをお聞きになり、石碑の拓本をとられ、2月11日の今の建国記念日にお居間に掲げられ、国家の弥栄、国民の安泰をご祈念されたといわれています。 もともと当社境内辺りは、明治までは公家屋敷が建ちならび、西側の京都御所との間にある梨木通りは、朝夕参内する公卿たちの参内道としてつかわれていました。また、平安中期の歌人紀貫之が古今和歌集の撰にあたっていたという屋敷もありました。万葉集を代表する植物としても知られる萩ですが、当社は「萩の宮」と称するほど境内には萩が咲き誇り、古今を通じて和歌が詠まれてきました。現在も京の萩の名所として、参拝者の目を潤す場所となっています。(梨木神社HPより) |