所在地:京都市左京区南禅寺福地町 アクセス:地下鉄東西線蹴上駅〜徒歩 正式名称:南禅寺方丈(なんぜんじ ほうじょう) 国宝番号(指定日付):145号(昭和28年11月14日) 当寺は、京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の大本山で、正式には瑞龍山太平興国南禅禅寺といいます。 1291年(正応4年、鎌倉時代)亀山上皇の離宮を大明国師(無関普門)に賜り禅林禅寺としたのに始まり、足利義満の時、五山制度の中で五山を超える「五山之上」と言う禅宗寺院最高の寺格を賜り、五山文化の中心に在りました。 応仁の乱以降は衰退しましたが、江戸初期に崇伝が金地院を移入して再興をはたし、多くの文化財を今に伝えています。伽藍は西を正面とし、背後に東山を負う。勅使門(重要文化財)は慶長度の内裏日御門を移したものである。 三門(1628年、重要文化財)は五間三戸二階二重門の規模で左右に山廊をもち、禅宗(唐)様からなる三門正規の形式の雄大な建築です。 方丈(桃山期、国宝)は大方丈と小方丈からなり、大方丈は天正度の内裏清涼殿を移築したものです。平面は6室に分かれ、中央南の御昼の間は清涼殿時代に昼の御座であった御帳の間の別称を残しており、広縁の欄間彫刻、天井、板扉の形式とともに近世宮室建築の姿を伝えています。 内部の障壁画(重要文化財)は124面を数え、桃山前期の狩野派の手になるとされています。また、小方丈は伏見城の遺構といわれています。 内部に探幽筆といわれる《群虎図》(重要文化財)40枚があり、「虎の間」と呼ばれています。 大方丈前面の庭園は俗に「虎の子渡しの庭」と呼ばれ、小堀遠州の作と伝えられています。 寺宝として南禅寺創建の経緯を記した〈亀山天皇宸翰禅林禅寺御起願文案〉(1299年、国宝)、開山の頂相《大明国師像》(重要文化財)などがあります。 塔頭のうち南禅院は亀山天皇の宸影をまつる檀那塔であるため、別格に扱われています。また以心崇伝が住した金地院には重要文化財建築や寺宝が多く、天授庵には《細川幽斎像・同夫人像》など、聴松院には《細川蓮丸像》、牧護庵(法皇寺)には《約翁徳倹像》の重要文化財絵画があります。(南禅寺HPより) 私的満足度「★★」:さすがは南禅寺。絶景かなです。 |