所在地:京都市乙訓郡大山崎町竜光 アクセス:JR東海道本線山崎駅〜徒歩 正式名称:妙喜庵茶室(待庵)みょうぎあん ちゃしつ (たいあん)) 国宝番号(指定日付):37号(昭和26年6月9日) 妙喜庵は、臨済宗東福寺派に属し、室町時代の明応年間(1492〜1501)に建立されました。 開山は、東福寺の開山聖一国師法嗣である春嶽士芳禅師で、もと連歌の祖であった山崎宗鑑の屋敷を、宗鑑が晩年に四国に移ったあとを寺にしたと伝えられています。寺号山号は、開山春嶽禅師が名付けたもので、”妙喜庵”という庵号は宋の大慧禅師の庵号からつけられたものです。 当庵三世功叔禅師の世に、明智光秀と羽柴秀吉が戦った山崎の合戦があったが、戦争が終わったあとも秀吉は山崎を本拠として半年間ほど住み、千利休を呼び茶会を開いていたようであリます。功叔禅師は知られた茶人で利休の弟子といわれており、秀吉が山崎で茶会を開いたときには、利休の手伝いをしていたようです。 山崎の地は油の販売で賑わった時もありましたが、江戸時代になると次第にさびれ、明治時代初期には東福寺派の寺院も廃寺になるところが多く、当庵だけが昔の面影を伝えています。(妙喜庵HPより) 待庵を見学するには、およそ1か月前までに予約が必要であり、見学が許可された場合も、にじり口からの見学で、内部に立ち入ることはできない。近くの大山崎町歴史資料館には待庵の創建当時の姿の原寸大復元模型が展示されている。 写真上:大山崎町歴史資料館の原寸大復元模型 写真下:山崎駅前(徒歩数メートル)の妙喜庵入り口 私的満足度「★」:往復はがきで参観の申し込みをしましたが、あまり見せたくないのか資料館のレプリカをみろとの返事が来ました。小さなものですから観に行っても数分で見終わりそうです。(写真右下は閉ざされた入り口:H21.1.20記) 山崎駅をおりると、なんと妙喜庵の門があいているではありませんか、中に入ってみると、中扉は閉まってます。但し、中庭の写真を撮ることができました。一歩前進。(写真左下:H21.11.28記) |