所在地:京都市北区紫野大徳寺町 アクセス:JR東海道線京都駅〜バス 正式名称:竜宝山大徳寺:@大徳寺唐門(からもん)47号(昭和27年3月29日)、A方丈及び玄関 (ほうじょう および げんかん)189号(昭和32年6月18日)、B大仙院本堂(だいせんいん ほんどう)187号(昭和32年6月18日)、C竜光院書院(りょうこういん しょいん)210号(昭和36年4月27日) 臨済宗大徳寺派の大本山で龍寶山と号する。鎌倉時代末期の正和4年(1315)に大燈国師宗峰妙超禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた。 勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備する。山門は、二階部分が、千利休居士によって増築され、金毛閣と称し、利休居士の像を安置したことから秀吉の怒りをかい利休居士自決の原因となった話は有名。本坊の方丈庭園(特別名勝・史跡)は江戸時代初期を代表する枯山水。方丈の正面に聚楽第から移築した唐門(国宝)がある。方丈内の襖絵八十余面(重文)はすべて狩野探幽筆である。什宝には牧谿筆観音猿鶴図(国宝)、絹本着色大燈国師頂相(国宝)他墨跡多数が残されている。(10月第二日曜日公開)現在境内には、別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺が甍を連ね、それぞれに貴重な、建築、庭園、美術工芸品が多数残されている。 <塔頭> 大仙院:入母屋造の本堂は最古の禅宗方丈建築のひとつとされる。また特別名勝に指定されている見事な枯山水の庭園は、白砂で表した流れの途中に鶴・亀・宝船を模した石を配している。 竜源院:畠山・大友・大内氏が建立した塔頭。本堂は大仙院とともに最古の禅宗方丈建築のひとつとされる。方丈を囲んで4つの庭園があり、土塀を背景に飾り気のない枯山水の竜吟庭、白砂と苔庭が対比が美しい一枝坦など表情のちがう名園が残る。寺宝に秀吉と家康が対局したという碁盤がある。 瑞峰院:室町時代の大名・大友宗麟が菩堤寺として建立した。庭園は枯山水で、キリシタン大名にちなんで十字架形の石組が配されている。 高桐院:細川忠興の建立した塔頭で、書院は千利休の邸宅を移築したものと伝える。忠興とガラシャ夫人の墓は千利休から遺贈された石灯籠を墓石にしている。参道の新緑、紅葉が美しい。(大徳寺HPより) 私的満足度「★★★」:広いお寺です。お庭巡りをするだけで結構時間かかりました。 |
大徳寺の庭園 多数あるので 「訪庭記」参照 |