所在地:富山県高岡市関本町 アクセス:北陸本線高岡駅〜徒歩 正式名称:瑞龍寺 仏殿、法堂、山門(三門)(ずいりゅうじ ぶつでん、はっとう、さんもん)国宝番号(指定日付):220号(平成9年12月3日) @仏殿:棟札によって万治二年(一六五九)に建立されたことが明らかである。この仏殿は全国においても他に例を見ない貴重な建築である。おそらく山上善右衛門嘉広の最も心血を注いだ力作の一つであろう。伽藍の中央に位置し、基壇上に雄然と立つその姿は重壮完美まことに賞する言葉もない。まず外観を見るに、屋根は鉛板をもって葺かれている。これは全国においても金沢城石川門にその例を見るのみでこれ亦貴重な遺構と云わねばならない。上層軒組は、三手先の詰組とし、整然と配列された扇捶等共に禅宗様建築の純粋な形式を表現したもので、注目せざるを得ないところである。一歩堂内に入れば、まず、すくすくと並列する柱が目につく。更に天井には優雅な曲線をもつエビ虹梁など、複雑にして、しかも妙を得た架構法は、実にここならではの感を深くし、只驚嘆のほかない。またこれらの用材はすべて欅の良質材で、その他床一面の戸室石の四半敷きをはじめ、須弥壇及び木階等の精巧な細工は、棟梁の命脈に通じるものがある。仏像は、三百有余年前中国から渡来されたもので、釈迦・文殊・普賢の所謂三尊が安置されている。天蓋も当時の作品であって、ハスの繊維と絹をもって織られたものと伝えられ、共に注目に値するものである。 A法堂:明暦年門(一六五五〜一六五七)の竣工に成る。建坪一八六坪。境内第一の大建築で仏殿と異り総檜造りとなっている。構造は方丈の形式に書院造りを加味したもので、六室より成っている。中央奥の室が所謂内陣で仏壇と大間を板間とする他はすべて畳敷きの間となっている。向って左奥の室には床・棚・書院・上段の間を附しているが特に棚の工法に注目したい。中央二室の格天井に描かれた草花は狩野安信の筆になるもので、また内陣の襖およぴ壁は、共に金箔押の高価なものである。その他欄間の彫刻は独創性に富み、大胆な手法が見られるがこれも亦江戸初期の技法を充分に表現した優秀な遺作の一つである。全体的にいかにも大柄な造り方で、前面の広い板廊下と、その前方の土間の構造等、実に雄大な感にうたれるものである。 B山門:正保二年(一六四五)に建立され、万治年間場所を替えて建直す。延享三年(一七四六)火災で消失、現在の建物は文政三年(一八二○)に竣工した。再建の棟梁は山上家二十四代善右衛門吉順である。和算により設計され、軒の出が深く禅宗寺院山門の雄と言える。(瑞龍寺HPより) 写真;上(山門)、左下(法堂)、右下(仏殿) 私的満足度「★★」:鉛瓦のせいなのでしょうかずっしりとした量感を感じさせるお寺です。平成9年と最近の指定です。 |