(以下は二〇〇六年四月、フランスの政治学関連雑誌に発表した論考の日本語による手稿前半部である)

《政策決定の過程と宗教活動−現代日本の事例》

 

Preface

日本の宗教文化は、神道、仏教が主要で、付随的にキリスト教を包摂している。キリスト教は一七世紀の封建制度の再編過程の弾圧により、一九世紀半ばまでは社会の余白に非公然に存続したにすぎない。封建制度確立以降の日本の宗教の展開を通時的にみると、日本の宗教は個人の良心、モラルに論理的に依拠しつつ展開することはなかった。宗教上のモラルは世俗の権威に依拠し政治権力により社会を貫徹しており、宗教活動はこのモラルの統治組織にくみこまれ、自律性を消失させてきた。宗教的ドグマの内面的展開は、一九世紀を待って、さまざまな新興宗教を産んできたものの、結局は既成宗教との類似過程をたどっている。日本の宗教が反戦思想を構築できなかったゆえんである。宗教活動が究極的には政治権力に従属し、それによって経済的保護をうけるという状況は現在までつづき、この事実が自民党による長期の政治支配との関係を基本的に規定している。
 主要教団と自民党との関連の特殊性はクライエントリスムに包摂されるといってよい。が、このクライエントリスムの政策的反映は、経済的保護超えて、それを正当化するために結果的に日本の原理主義にも依拠せざるをえない。すなわち憲法の規定する政教分離にも拘わらず、宗教団体の圧力団体としての介在が冷戦構造崩壊以降の日本のナショナリスムの動向の重要な決定要因となっている。他方、こうした状況への不満は周知のように、たとえばAUM教団のような狂信的集団の暴走をもすでに招いている。

 

1.自民党の長期支配と構造

戦前右翼、右派リベラル、官僚新世代層ら保守勢力(それらが党内派閥の源流である)の戦後直後の離合集散過程を経て、自民党は一九五五年日本の保守勢力の結集体として成立した。その後半世紀が経過している。一九七〇年代以降余儀なくされた長期的衰退過程は九〇年代に一応停止し、分裂ゆえの一一カ月の例外期(一九九三年八月から九四年六月)を除き、自民党は政権与党の座を確保し続けている。といって、単独政権には程遠く、野党としてすごした一一カ月の後、九六年一月までは社会党員を首班に仰ぐ連立政権に参画。その後、首班の座を継続的に維持しているものの九九年一月以降は自由党(二〇〇三年民主党が吸収)、つい愛で同年一〇月以降公明党との連立政権を余儀なくされている。自民党政権の不安定性は、衆議院と異なり投票率と議席配分の乖離の比較的少ない、第二院で一九八九年以降過半数を確保できないからだ。現在、そこでの議席占有率は、四六・三%に過ぎず、公明党の九・九%とあわせ、かろうじて多数派を形成しているにすぎない。

自民党は均質な内容をもつ政党組織ではない。反共を唯一のイデオロギーとしつつ、政権の確保・維持を自己目標とみずからに課すさまざまな保守勢力、すなわち派閥の連合体である(現在八派閥)。政治資金の獲得、分配が長期にわたり派閥の主要な凝集力だったが、一九九五年以降、自己の支配を永続化すべく国家資金による政党への資金援助(二〇〇六年一六八億四六〇〇万円)制度を導入し、資金分配の権限をもつ党執行部の掌握力が強化された。その結果、派閥領袖の統制力は軽減した。が、派閥連合体としての党の性格は不変で、合従連衡をとうして形成された多数派が基本的に党執行部を依然組織している。

派閥の連合体としての性格を超えて重要なのは、党組織が、各レヴェルでのElusの個人的後援会の総和となっている事実だ。国会議員レヴェルでは後援会は、おもに選挙区内の企業関係者らからなる。それが業種別に組織化された全国規模の業界団体、職能団体、そして大規模企業などの地域組織と連携し自民党議員の支持基盤を構築している。支持基盤のこれらの構成者は、政治資金の提供、選挙活動への協力の代償に、さまざまなレント(政策的な市場の統制、公共事業の誘致、補助金、税制面での優遇措置、その他さまざまの便宜などの超過利潤)を獲得する。クライエントリスムのまさに典型的なモデルであり、宗教団体も、このクライエントリスムの重要な要素にほかならない。

自民党組織の直接の構成員もイデオロギーを軸に結集しているわけではない。さまざまな業界団体、企業、宗教団体が、この党への影響力を担保すべく、関連者を送り込んでいるに過ぎず、たとえば自民党小泉政権の成立直前には、いくつかの新興宗教団体に所属する層が、党組織構成員一四〇万強の三割強を占めていた(付表)。自民党は現在党員名簿などの公表を禁止し、現況は不明である。だが、宗教団体の強い影響力は閣僚人事をみれば明白である。たとえば小泉第一次内閣で、新興宗教教団である霊友会、モラロジー、真光(前者は仏教、後二者は天理系統)の支援する小野清子は国務大臣公安員会委員長(警察担当)に就任、靖国信仰を教義にくみこむ仏所護念会を支援団体とする遺族会副会長尾辻は、厚生大臣に起用された。小泉自身にせよ宗教政治連盟前副会長であり、もとより他の閣僚の多くが宗教団体となんらかの関連を維持しているのも自明である。

 

2.自民党と宗教団体

まず連立政権のpartenaireである公明党(字義的にはClean partyを意味する)(英語名New Komeito)との関係がある。これは、日本最大の仏教系信者組織創価学会(会員数は未公表。最大五〇〇万程度と推定され、七〇年代以降停滞と、宗教社会学者の見解は一致している)の政治組織にほかならない。主に大都市部に組織的基盤をおくこの宗教団体は両院選挙で公明党候補の出馬しない選挙区で自民党を支持し、昨九月総選挙での自民党の勝利に重要な役割をはたした。だが、きわめて排他性が強く、利害の対立から仏教系統の新興宗教集団とは持続的な競合関係にある。

自民党組織外部では、神道政治連盟(神政連)、全日本仏教会(全日仏、既成仏教の諸宗派)など既成宗教のみならず、世界基督教統一神霊協会など新興宗教も自民党と密接に関連している。大教団の大半が自民党の国会議員の集票組織、利益団体として個人的レヴェルであれ介在しているとして過言ではない。また上述のように、MOA、仏所護念会のように、自民党組織に信者を大量に加入させていた、あるいは加入させている宗教団体もある。

一般に地方選出の各議員は、複数の宗教団体宗教団体(注:宗教法人法第二条では宗教の教義をひろめ、関連儀式をおこない、信者育成を主な目的とする団体と規定)と関係している。クリスチャンでありながら、神道政治連盟に関係し、靖国神社に参拝する現外務大臣麻生が好例だろう。地方では宗教団体が、依然きわめて重要な集票組織として機能している。

圧力団体としての宗教団体の特殊性は多様、かつ複雑である。大企業ないしそれらに関連する経済団体が直接の経済的レントを目的とし、経済関連の政策決定過程に介入するのと異なり、宗教団体は自民党右派に政策目標を課すことで、教育政策、宗教政策などをとうし、自己の教団運営、教義に好都合な条件の醸成、といった長期目標を前面に出す側面があるからだ。たとえば中国、韓国の執拗な反対にも拘わらぬ、首相小泉、キリスト教徒の外務大臣麻生はじめ、多くの自民党議員、野党議員の一部が靖国訪問を継続する事実が、その一例である。

 

3.日本の宗教人口

日本の宗教文化は、神道、仏教が主要で、それにキリスト教が付随する。ちなみにキリスト教ではカトリックが多数派である。神道、仏教は既成教団(一九世紀半ば以前にn成立)、新興教団宗教(一九世紀半ば以降に成立)に大別される。日本での正確な宗教人口は不明である(政府統計は二〇〇四年末の宗教人口を二億一三八二万としているが、むろん日本人口一億二七六五万を大幅にうわまわる)。日本人の宗教意識は一般に曖昧で、家系面では仏教徒と認識しつつも、地域生活では神道儀礼に参加するなど多重所属の多い上、各教団が信者数を過剰に申告しているからだ。ちなみにJGSSの資料(2000,2001、標本数4500)の宗教意識に関する調査結果から推定すると、下記のとうりである(成人人口一億一〇〇万、信仰している宗教あり九・七%、と家に宗教あり二四・九%計を母数)。

仏教総数       (六四%)

仏教,宗派不詳  二五〇〇万

浄土真宗      二〇八〇万

禅宗           九〇〇万

日蓮           五二〇万

浄土           五一〇万

 

神道           二二〇万 (二・二%)(三%という説アリ

 

新興宗教 国民の一割程度

創価学会        五〇〇万

立正佼成会        五〇万  

天理教          一三〇万         

真如苑            四〇万

真光             四〇万

仏所護念会        一〇万

生長の家          三〇万

MOA            二〇万

霊友会             一〇万          

キリスト教          二九〇万(二・九%)

(カトリックが多数派、プロテスタントは米国系教団の影響が強い)

 

4.既成教団

神道は古代民族の呪術から発展し歴史的起源は古い。が、平安時代末期(八c末)に仏教教理に基礎を置き教義を成立させるまでは、宗教としての骨格をもたないので、まず仏教から説明する。

4−1仏教:

 a.奈良・平安仏教

唐から日本への仏教の到来は六世紀とされる。七世紀には教団を形成し、一部は現在まで存続し、奈良仏教系(六宗)と分類されているが政治的にも、教義面でも実質的影響力はない。

九世紀以降、仏教は大衆を基盤としての展開を開始し、その主要教団、密教である天台、真言両宗は現在まで持続的な影響力を維持している。が性格は古典的で宗教的ダイナミスムにかけ、政治的にもそれらから派生した一部をのぞき穏和といえよう。同時期に山岳仏教として修験道も発生し、いくつかの新興宗教を派生させているが、影響力は限られている。

b.鎌倉仏教

一一世紀から一二世紀にかけての、中世への転換の過程で、社会的動揺を背景とする末法的世界観の環境下で、宗教改革が発生。新たに発生した宗派は王権とは無縁に農民、漁師など下層階級にも浸透した。法然、親鸞らの浄土系統は個人の内面に浄土は成立するとし、彼岸的価値の強調による内面化に立脚、一向一揆と総称される農民層の反乱の背景となった。道元らの禅宗は信仰の内面化と峻厳な戒律主義を特徴とし、仏法の王法からの完全な独立を志向。日蓮は他宗排撃と神国思想を特徴とし、社会上層よりはむしろ地方の農民上層部に浸透した。

中世(一二−一六世紀)には仏教があらゆる生活領域、文化領域を支配、天皇も例外ではない。

法然(一一三三−一二一二)、親鸞(一一七三−一一六二)らの系譜をうけつぐ浄土宗系の宗教団体、道元(一二〇〇−一二五三)らの禅宗は現在でも、強い影響力を維持している。天台宗どうよう法華経に立脚するものの、神道的要素もとりいれた日蓮(一二二二−一二八二)の系譜による宗教団体は、その折衷的性格により、近代以降、数多くの新興宗教を産んでいる。

c.江戸期の仏教

徳川将軍制度の安定化にともない、マージナルな隠れ念仏をのぞきすべての仏教は幕藩体制に包摂された。幕藩権力は教団組織を、その政治統制に動員し、末端統治組織に変質させた。仏教が徳川期に入り、急激に思想としての権威を失った背景には、いずれの宗派も神秘主義的瞑想行為の傾向を持ち、政治への抵抗力が思想的次元で弱かったゆえ、と分析されている。キリスト教が唯一人格神と個人との関係(religio)に立脚する救済宗教であるのと正逆である。

 

4−2 神道

氏族神信仰による伝統的権威を長期的にもったので各時代の主流思想に包摂された。平安朝末期に仏教と習合し教義としての思想的構造らしきものをもったのが嚆矢である。が、一八世紀後半の本居宣長による国学の思想的展開を契機に、独自のイデオロギー的迫力を獲得。儒教を包摂した垂加神道(朱子学の絶対視、リゴリスム、ファナティシズム,アンタィ・ロジスム)、平田系など復古神道を経て、超国家主義の源流となった。

明治政府は政治理念を当初復古神道におき、祭政一致を試行し、廃仏毀釈(1868)以降、一連の神仏分離令による神仏習合を解体した。1870年の大教宣布の詔にもとづく神道教化運動が展開されたものの、神社を国教機関とし神官の世襲、説教や葬儀への関与を禁じたために蹉跌を余儀なくされる。結果的に祭祀と宗教は分離され、神社は信仰の対象ではなく、義務としての臣民の崇敬対象となった。国家神道である。あらひとがみの概念を創出、天皇は仏教的要素を排除された。 また、大半は当時の新興宗教であるが、国家神道外に独自な教派を組織した神道は教派神道として国家体制に包摂された。

第二次世界大戦における敗戦後、GHQによる1945年一二月の神道指令により天皇は、翌46年元旦、人間宣言とりもなおさず、神格化否定の自己宣言を余儀なくされ、他方、国家神道下の神社は神社本庁を設立、宗教法人として現在、約8万社を組織している。

 もとより、神道は基本的にアニミスムから発展した神々への信仰に立脚する以上、教義体系をもちえず、エモーショナルな宗教的活動を余儀なくされる。それゆえ、宗教として強く意識されることもないものの、日本人のエトスに強く関連している以上、社会的影響力は少なくない。八世紀の神仏習合儀礼による怨霊の鎮魂に関連する靖国信仰もその一例である。

 

4−3キリスト教

一五四九年に伝来、九州地方の大名の貿易政策、仏教徒への対抗策や、慈善救貧などの宗教活動を背景に、一六二一年には、信者数七五万に達した。だが、国内の封建的再編成の過程で阻害要因となり島原の乱(一六三七−三八)以降その存在を許されず一九世紀半ばまで過酷な弾圧をうけた。一八七三年以降、国内での布教活動を再開、松岡洋右など、ファシズム指導者が信者を含んではいるが、政治的には、キリストの幕屋、文鮮明グループなど一部新興宗教をのぞき穏和である。

 

5 新興宗教教団

既成宗教がすべて幕藩体制の支配構造に包摂されていた以上、一九世紀以降の幕藩体制の動揺期にさまざまな新興宗教が発生し、下層階級に少なからぬ影響力をもったのはむしろ自然な現象である。黒住教、天理教、金光教など、独自の教義を展開した創唱宗教が、幕府の宗教統制の枠組みの中で、現世利益を中心に民衆救済を説きつつ勢力を拡大し、明治期に教派神道として公認され、現在まで存続している。また仏教系の新興宗教では、旧仏教との連続性を持ち神道との融合的性格をもつ日蓮系仏教も一九世紀後半以降さまざまな新興宗教を派生。神道の国家組織化の過程でも、その神道的要素ゆえに存続が可能となった。神道の大衆性すなわち、単なる神話に依拠する教義としての性格は当初、これら新興宗教の影響力拡大の一因となったが、それゆえの限界が現代では顕在化している。 その結果、これらの系譜から、神秘主義的性格をもつさまざまな新興宗教があらたにうまれ現在に至る。また現世利益を重視し、かつ祖先崇拝に立脚する日蓮系仏教の新興宗教は、戦後の高度経済成長期の過程で、影響力を急速に増大させた。霊友会、創価学会、立正佼成会、仏所護念教団などが一例である。一九七〇年代以降は、高度経済成長の終焉と軌を一にして、それらの影響力の拡大は停止し、霊魂不滅を中心的教義とするさまざまな新興宗教があらたに派生。マスメディアはそれらを新新宗教と総称している




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