ヒッポドローム(=スルタンアフメト広場=アト・メイダヌ=コンスタンティノープル競馬場)はブルーモスクの西隣にあり、ビザンティン帝国時代に競馬や戦車競走が行われた競技場でした。競技場の広さは長さ450m、幅130m。12の門があり、10万人の観客を収容できたといいます。
「ヒッポドローム (hippodrome)」とは古代の競馬場を意味し、ギリシア語の「ウマ」を意味する hipposと「道」を意味する dromosを組み合わせた語である。ヒッポドロームの中央には3つの大きな柱が立っています。
「テオドシウスのオベリスク」(写真左下)
その中でひときわ立派で目を引くのが、古代エジプトのオベリスク。
このオベリスクは、4世紀にヒッポドロームを拡張、改修したテオドシウス帝がエジプトから運ばせたもの。そのため「テオドシウスのオベリスク」とも呼ばれています。
もとは古代エジプトの首都テーベ(現在のルクソール)のカルナック神殿にあり、紀元前1500年頃にトトメス3世が建てました。花崗岩製で現在の高さは約20m。ただし、下の方が切り取られているため、もとは30mほどもあったといわれています。オベリスクの中でも最大級、さらに、保存状態が良いことでも有名です。
「蛇の柱」(写真中央下)
中央にあるのが青銅製の「蛇の柱」です。
現在は先端が失われていますが、本来は3匹の蛇が巻き付いた姿で、最上部には蛇の頭とそれに支えられた黄金の杯がついていたといいます。
もとはギリシア、デルフォイのアポロン神殿にあったもので、オベリスクと同様、4世紀にテオドシウス帝が現在の場所に移しました。
「コンスタンティノス7世のオベリスク」(写真右下)
10世紀の皇帝コンスタンティノス7世は、もう1つのオベリスクを競馬場の反対側の端に建てさせた。元々は金メッキされた青銅製の板で覆われていたが、第4回十字軍に略奪された。石積みの中核部分が現存しており
"Walled Obelisk" と呼ばれている。
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