アルテミス神殿は、紀元前7世紀〜6世紀ごろに建設されたと考えられています。その後、焼失と建設を繰り返し、260年ごろ、ヨーロッパから東ゴート族の襲撃を受け、徹底した略奪、破壊を受け、その後、大理石の円柱は砕かれて建築材料とされていきました。一説には、イスタンブルのアヤソフィアなどにも使われたと言います。そして1869年に、大英博物館の発掘隊により神殿跡を発見され、一部は大英博物館に所蔵されています。現地には、復元された一本の柱が残るのみですが、その柱の大きさからも、神殿の巨大さがうかがえます。 世界の七不思議のリストの編纂者である、紀元前2世紀後半のシドンのアンティパトレスは次のように表現している。 私は戦車が通りうるほど広いバビロンの城壁を見、アルペイオス河畔のゼウス像を見た。空中庭園も、ヘリオスの巨像も、多くの人々の労働の結集たる大ピラミッドも、はたまたマウソロスの巨大な霊廟も見た。しかし、アルテミスの宮がはるか雲を突いてそびえているのを見たとき、その他の驚きはすっかり霞んでしまった。私は言った、「見よ、オリンポスを別にすれば、かつて日の下にこれほどのものはなかった」