シントラの南郊外、岩盤が露出する岩山の上に建つ城。
ドス・ムーロス城(カステロ・ドス・モウロス)は「ムーア人の城」を意味し、イベリア半島に定住した北西アフリカのイスラームであるムーア人が8,9世紀に築いた。
やがてイベリア半島ではレコンキスタが進み、1147年には第2回十字軍の一環として初代ポルトガル王アフォンソ1世がリスボンを攻略し、この時にドス・ムーロス城のムーア人は戦わずしてアフォンソに降伏した。
ドス・ムーロス城はアフォンソの子サンシュ1世によって改修され、14世紀にはフェルナンド1世がさらに増築したがその重要性は低下し、やがてユダヤ人が利用するようになっていたが15世紀末にマヌエル1世がポルトガルのユダヤ人を追放すると、ドス・ムーロス城は放棄された。
さらに1755年にリスボン大地震が発生するとドス・ムーロス城は壊滅的被害を受けて廃墟となったが、1840年にフェルナンド2世により一部が修復された。
ドス・ムーロス城はイスラームとキリスト教徒の建築様式が融合したムデハル様式の特徴をよく示しており、1995年にペーナ宮殿やシントラ宮殿、レガレイラ宮殿などとともに「シントラの文化的景観」として世界遺産に登録され、2010年には日本城郭協会によってヨーロッパ100名城に選定された。
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