トルン



【世界遺産】中世都市トルニ(トルン)Toruń

ポーランド中北部、ヴィスワ川沿いの都市トルニは、ハンザ同盟の交易と行政の中心地でした。中世都市トルニとして世界遺産に定められたエリアは、ドイツ騎士団の城跡、旧市街、新市街により構成され、往時の独特な空間設計や生活様式を反映しています。
全盛期のトルニは建築の傑作を誇り、14世紀から15世紀の中世の街並みが現在まで状態良く保存されています。そのため、中世ヨーロッパの都市開発史を研究するための資料としても貴重な価値を提供しています

写真中左:コペルニクスの像(Statue of Copernicus) 
トルンはポーランドの誇る天文学者、ニクラウス・コペルニクス(1473−1543)が生まれた街である。カトリック司祭でもあったコペルニクスは、キリスト教会が絶対の真理としていた地球中心説(天動説)を覆し、太陽中心説(地動説)を唱えた。小生は幼い頃から星空を眺めることが好きで、天文学者に憧れを持っていた。コペルニクスの名は、ガリレオ、ケプラー、ニュートンとともに懐かしく思い出される。有名なコペルニクスの像は旧市街の入り口に立つ。

写真中右:コペルニクスの生家(the House of Nicolaus Copernicus) 構成資産
旧市街には、ゴシック様式のファサードなどを持つ家が多く残りますが、その中でも有名なのは1473年に天文学者として有名なコペルニクス(1473〜1543年)が生まれたと伝えられている家。現在は博物館として保存されています。各家には貯蔵庫が設けられ、コペルニクスの生家も同様でした。

写真下:ドイツ騎士団城跡
世界遺産のトルン旧市街の東側、ヴィスワ川沿いにドイツ騎士団城跡があります。ドイツ騎士団は13世紀頃からポーランド北部を制覇し、世界遺産のトルンにも城塞を築きました。やがて住民と騎士の対立が起こり、力をつけた市民たちが蜂し、騎士を都市から追放、1454年には城が破壊されました。ドイツ騎士団を追放したことで町はますます栄え、世界遺産のトルン旧市街地の美しさはヨーロッパ中で知られます。現在、騎士団の城跡は壊された当時の状態で保存されております。

聖母マリア教会
聖ヨハネ大聖堂


   


   

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