紀元前2世紀〜6世紀、メキシコ中央高原で繁栄した古代メソアメリカ最大の宗教都市国家。最盛期の人口は10万人とも20万人ともいわれ、当時の東ローマ帝国の都コンスタンティノープルにも匹敵する規模を誇っていましたが、600年頃に突然滅亡。北方民族襲来説、火山噴火説などその原因には諸説あり、真相は今もって明らかではありません。 13世紀、廃墟と化していたこの都市遺跡をアステカ人が見つけ、テオティワカン(Teotihuacan:神々の集う場所)と命名。死者の大通りを軸に碁盤の目状に整然と広がる都市は、高度な数学と天文学の知識に基づいて建設されています。その一方で、近年の発掘調査により、神々への供物として生け贄の風習が存在したことも判明しました。 遺跡のスケールを実感するには、太陽のピラミッド、あるいは月のピラミッドに上るのが一番。壁面の彫刻が見事な羽毛ある蛇(ケツァルコアトル)の神殿、周辺から出土した2,000棟もの集合住宅も興味をそそります。傾斜壁と垂直壁を交互に積み重ねていく独特のタルー・タブレロ様式は、後のメソアメリカにおける建造物に大きな影響を及ぼしました。 文字記録が残っていないため、都市発生のメカニズムはおろか、民族や言語、政治機構など多くが謎に包まれているテオティワカン。日本も参加している調査団による新発見を楽しみに待ちましょう。 |