「聖ヨハネ大聖堂」(St John’s Co-Cathedral)
オスマン帝国によってエルサレムやロードス島を追われた騎士団は、1530年神聖ローマ帝国の皇帝カール5世より、キリスト教勢力の防衛線としてマルタ島を与えられます。1565年オスマン帝国の攻撃を退けた騎士団は、一時中断していた街の建設を再開します。それまでの功績と騎士団員の多くが有力貴族の出身者だったことから、騎士団には莫大な寄進が集まりました。その富を背景に、豪華な建物が次々と建設されますが、その1つが聖ヨハネ大聖堂です。
聖ヨハネ大聖堂は、建築家ジェラーロモ・カッサールの設計で1578年に完成しました。外観はシンプルな造りですが、内観はバロック風の絢爛豪華な造りとなっており、当時の騎士団の資金の豊かさが窺えます。
天井には、騎士団の守護聖人、聖ヨハネの生涯が描かれ、身廊の床全体には約400枚のモザイク画で埋め尽くされています。これは、騎士団員の墓碑で、名前、碑文、紋章、死をイメージする模様などが色鮮やかに描かれています。また、身廊の両側には、騎士の出身地の言語別にプロヴァンス、フランス、イタリア、オーヴェルニュ、アラゴン、イングランド、ドイツ、カスティーリャ=レオンの8つの礼拝堂があり、どの礼拝堂も豪華絢爛な彫刻や絵画が施されています。各礼拝堂の彫刻、絵画そのどれもが、手掛けた芸術家たちの代表作となっています。礼拝堂の地下には、歴代の騎士団長の棺があり、街の名前の由来となったジャン・パリソ・ド・ラ・ヴァレットも地下で眠っています。
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