ゴンザーガ家のドゥカーレ宮殿 ( Palazzo Ducale )
ドゥカーレ宮殿は、イタリアの貴族であるゴンザーガ家がマントヴァを支配していた時代に建てられた宮殿で、マントヴァの代表的な観光名所です。
1308年にボナコルシ家の住居となり、その後、ゴンザーガ家が街を支配してからは彼らの住居になった宮殿です。500以上の部屋、3つの広場、15の公園と庭、城と教会を含む宮殿の広さは、なんと!35,000平方メートル。ヨーロッパで6番目に広い宮殿です。宮殿内には、マントヴァの川を模した「川の間」やラファエロがデザインした絨毯が飾られた「絨毯の間」など、当時の栄華を偲ばせる豪華な居室が続きます。
「公爵の間」に飾られたテントレットの絵、オランダ人画家ルーベンスが描いたゴンザーガ家の肖像画など、有名な芸術作品が数多く収められています。中でも、宮殿の中心に建つサン・ジョルジョ城の「結婚の間」は必見。15世紀後半に描かれたアンドレア・マンテーニャの壁画が、ここで神々しく存在感を放っています。ゴンザーガ家の21名を描いた「家族の肖像」が有名ですが、天使が上から下界を覗き込む天井の円窓(だまし絵)はさらに傑作といわれ、ユーモラスをも感じさせる作品です。
ゴンザーガ家(Gonzaga)
マントヴァの僭主(シニョーレ)として知られる。15世紀から16世紀のマントヴァ宮廷に華やかなルネサンス文化を育てた。フランチェスコ2世、フェデリーコ2世の時代にルネサンスの宮廷文化が栄えた。
直系の子孫は1627年で途絶え、フランスでヌヴェール侯爵領を統治していた分家のカルロ1世が継いだが、直後に継承戦争が勃発し、1630年にはオーストリア・ハプスブルク家に侵攻された。次第に勢力が衰え、1708年、最後の当主フェルディナンド・カルロが子どもを残さずに死去すると、マントヴァ公国はハプスブルク家領のミラノ公国に併合された。
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