16世紀、世継ぎに恵まれなかったムガル帝国第3代皇帝アクバルが、アグラ近郊に住むイスラムの聖者の予言によって男児(4代ジャハーン・ギール)を授かり、その恩に報いこの地に遷都します。約5年の歳月をかけ3km✕1.5kmの城壁で囲まれた壮大な都が建設され、ファテープル(勝利の都)と名付けられました。 アクバル帝は急死した2代フマユーン帝の跡を継ぎ、軍事・行政制度を改革。インド史上最大の帝国の礎を築き、拡大した領土の安定統治のため異教徒との融和を進めた英雄です。「宮廷地区」の巨大な柱の上に玉座を据えたディワーネ・カース(貴賓謁見の間)が絶大な権力を窺わせる一方、木造建築のような5層の宮殿パンチ・マハルなど、イスラム建築にインド伝統の建築様式を取り入れたムガル建築と呼ばれる建築群に、アクバル帝の思想がよく表れています。「モスク地区」に残るムガル建築の傑作とされる赤砂岩と白大理石造りの巨大なブランド門、インド最大級のモスクといわれるジャマー・マスジットの回廊の柱や庇などにも、ヒンドゥー建築の影響が見られます。 イスラムとヒンドゥーの文化が融和した、アクバル帝の理想郷ともいえる都も、地の利の悪さからわずか14年で放棄されます。しかし、それが幸いし建築群は戦乱をまぬかれました。世継ぎの誕生を予言した聖者を祀るサリーム・チシュティー廟は子宝に恵まれる聖地とされ、今も多くの巡礼者が訪れます。
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