ロドス島の巨人像(世界7不思議Colossus of Rhodes)
古代の記述によれば、ロードス島の巨像は以下のようなものだったそうです。
ロードスの港の入り口付近に、高さ15mの大理石製の台座を設置し、その台座の上に鉄製の骨組みを作り、さらに薄い青銅板で外装を覆った外装にはデメトリオス軍の遺棄した武器や攻城塔を鋳潰したものが使われた。
建造には盛り土の傾斜路を利用し、組み立てが進むにつれて傾斜路の高さを調節して対応していた。
彫像自体の高さは34m、台座を含めると約50mに達した(現代のニューヨークの自由の女神像に匹敵する大きさ)
巨像が完成したのは着工から12年後の紀元前284年でした。その後、紀元前226年にロードス島で地震が発生し、巨像は膝から折れて倒壊してしまいます。プトレマイオス三世は再建のための資金提供を申し出ましたが、ロードスの住民は神に似せた彫像を作ったことが神の怒りに触れたと考え、再建を拒否したのです。
巨像は800年間にわたりそのまま放置され、その間に残骸を見物するために多くの人々が訪れました。800年後の654年、イスラム帝国ウマイヤ朝の初代カリフであるムアーウィヤ一世の軍隊がロードスを征服しました。巨像の残骸はエデッサの商人に売却され、商人は彫像を破壊して青銅の屑にし、900頭のラクダの背に積んで持ち去ったといわれています。
→現在は鹿の銅像が2本立っている場所にあったとされる。
|