ケルンは1世紀にローマのコロニアとしてウビイ(英語版)の領域に創建された[3]。ゲルマニア・インフェリオルの州都として462年にフランク王国によって占領されるまで、地域の軍の司令部が置かれていた。中世、東西ヨーロッパを結ぶ重要な交易路の一つとして繁栄した。ケルンはハンザ同盟の主要なメンバーの一員で、中世やルネサンス期にはアルプス以北では最大の都市であった。
第二次世界大戦まで、ケルンは他にもフランスやまたイギリスの支配を幾度か経験している。第二次世界大戦中、ドイツの都市の中でも最も多くの空襲を受けた都市の一つでイギリス空軍(RAF)によって34,711トンの爆弾が都市に落とされた。この空襲の影響でケルンの人口は主に住民の避難によって95%減少し、市街のほとんどが破壊された。出来るだけ多くの歴史的建築物を復元することを意図して、再建の結果として非常に混じり合った独特の都市景観を呈している。
ホーエンツォレルン橋(Hohenzollernbrücke)
ケルン大聖堂と並び街のシンボルとなっているのが、ライン川に架かるホーエンツォレルン橋だ。全長は約409メートル。1日に1000本以上の電車が行き交う鉄道と歩道が併設されている。
この橋は1911年に造られて以降、物資を輸送する上で重要な役割を果たしてきた。だが、第二次世界大戦時、連合国軍の進入を阻もうと、自国のドイツ軍が爆破。一度は姿を消したが、その後、オリジナルに忠実に再建された。
ここは恋人たちにとっての名所でもある。彼らの目的は、「愛の南京錠」を欄干にかけること。互いの名前を記した南京錠をかけ永遠の愛を誓う風景は、ローマのミルヴィオ橋やパリのポンデザールが有名だが、この橋もそれらに劣らない人気だ。
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