ドイツ帝国(ドイツ第二帝国)の皇帝家ホーエンツォレルン家の発祥の地に建つ城である。
ドイツ連邦共和国シュヴァーベン地方のバーデン=ヴュルテンベルク州のテュービンゲン行政管区(県)ツォレルンアルプ郡ヘヒンゲン市の南、海抜855メートルのホーエンツォレルン山の頂に建てられた城である。現在の城は三代目で、フリードリヒ・ヴィルヘルム4世がプロイセン王になる前の太子であった時に再建を決め、没後の1867年に完成したものである。
最初の城:建設された時期は不明、 11世紀頃から1267年の間には既に建てられていた。1423年にシュヴァーベン帝国自由都市から来た部隊に包囲占領され、完全に破壊された。二代目の城:1454年に、強固な城として建設が開始された。三十年戦争の中頃の1634年にヴュルテンベルク軍に占領され、約1世紀にわたって神聖ローマ帝国のハプスブルク家の城となる。オーストリア継承戦争の1744年の冬から1745年にフランス軍によって占領される。戦後、ハプスブルク家の手に戻ったが、1798年にオーストリア人の最後の所有者が城を去った後は放置され廃墟となった。19世紀初頭までは、聖ミカエル礼拝堂のみ利用可能であった。
三代目の城:フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が1819年のドイツ南端を通るイタリアへの旅行中、自らのルーツを見つめなおし、城を再建する要求にかられ再建を決めた。
(引きの写真は購入した絵葉書)
(最後の写真はたまたま登城していた城主との記念撮影)。
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