ルイ14世がパリ郊外に建設した宮殿(Palais de Versailles)。1682年からルイ14世はここで政務を執り、ブルボン朝絶対王政の政治・宮廷文化の中心となった。バロック式建築の代表する文化遺産でもある。
ルイ14世が1661年に本格的造営を開始、数十年をかけて造営した宮殿。パリの南西約20㌔にある。もとはルイ13世が狩猟の際の宿泊のために作った小さな城であったところを、ルイ14世が改修・拡張した。宮殿の中心の「鏡の間」や、庭園が有名。広大な庭園はル=ノートルの設計、宮殿本館はル=ヴォー、鏡の間はルブランとマンサールが手がけた。この宮殿建築はバロック美術の集大成という趣であった。
なお、ブルボン朝の宮廷は、パリのサン=ジェルマン、フォンテーヌブローにもあったが、1682年からヴェルサイユ宮殿に移し、フランス革命の勃発する1789年までは、一時期を除いてそこに置かれた。政治の中心がパリから離れ、王を頂点としたヴェルサイユ宮殿の宮廷で行われるようになったことは、政治の実権を貴族や聖職者の手から国王のもとに集中させる意味もあったが、パリの民衆から国王は遠い存在となり、関係が希薄になった面もある。
ヴェルサイユの庭園は、造園家アンドレ・ル・ノートルの設計の元、ルイ14世の統治下でヴェルサイユ宮殿と同時期に建設されました。宮廷画家でヴェルサイユ宮殿の内装も手掛けたル・ブランも彫刻や噴水の図案に携わりました。
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