古代ガリアGaulleにルーツを持つポワティエ(Poitiers)の町は、長年寄せては返す歴史の波を見て来ました。数々の宗教建築群の建設で各時代を彩られ、精密な時計のように時を刻んで来たのです。実際ポワティエは「100の鐘楼の町」として知られていたときもあり、今は数が減ったとはいえ、4世紀にできたサン・ジャン洗礼堂Baptistère St-Jeanや、それよりあとの(といっても大変古い)ロマネスクの傑作建築群など今に残るものは、この町の歴史の古さを物語っています。 サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路がポワチエを通過しており、まちは多くの巡礼者を迎え入れ、彼らは聖ラドゴンドや聖イラリウスの遺物に信仰を捧げるためポワチエに滞在した。 14世紀、ポワチエはジャン2世の三男、ベリー公爵ジャン1世の領地だった。彼はポワチエのかつての伯爵たちが築いた中世の宮殿(ダンジョンや庭園を含む)をさらに飾り立てた。同様に彼は三角形の古い城を美しく直した。この城は写本『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』の7月の項(下段に添付)に描かれている。