教皇宮殿(Palais des papes d'Avignon)は、アヴィニョン捕囚(1309年~1377年)の際に教皇が住んだ宮殿です。
当時フランスとローマ教皇庁は対立しており、フランス王フィリップ4世は教皇クレメンス5世に教皇庁の移転を要請、クレメンス5世はアヴィニョンを座所としました。イタリアは神聖ローマ皇帝によって侵略されており、ローマに帰ることもできなかったのです。
教皇宮殿は1335年から1364年にかけて建築されました。捕囚とはいっても、行政や司法、財政の機関が整備され、南仏の商業と共に繁栄しました。また、芸術が保護され、文化の中心地にもなりました。一方、教皇庁の腐敗が批判されることもありました。
1377年になると教皇庁はローマへ戻りますが、その後の教会大分裂期には、対立教皇のクレメンス7世とベネディクト13世が1408年までこの宮殿を座所としました。
1433年、宮殿はローマ教皇庁の財産になりますが、徐々に劣化していきます。追い打ちをかけたのがフランス革命で、宮殿は破壊と略奪に遭ってしまいました。
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