16世紀初頭、城壁と同時に造られた5つの門のうちの一つで、創建当初はメディニンカイへと続く道の門であったため、メディニンカイ門と呼ばれていました。現在の「夜明けの門」と呼ばれるようになったのは20世紀に入ってからのことです。
17世紀には、外敵から街を守り、旅人を守護するためカルメン会の修道士が城門の上に礼拝堂を建立します。礼拝堂には、奇跡を起こすとされた聖母マリアのイコンがあり、現在も一心に祈りをささげる信者が絶えません。
聖母マリアのイコンには諸説あり、1363年にアルギダス公がクリミア半島に遠征した際に持ち帰ったもの、または、絶世の美女といわれたバルボラ・ラドヴィライテ妃をモデルにして描かれたものであるともいわれています。夜明けの門の旧市街外側のファサードには、リトアニアの紋章である白い騎馬像を中央に、ギリシャ神話に登場するグリフィンをモチーフとしたルネサンス様式の装飾が施されています。こちらも、礼拝堂と同様に夜明けの門の見どころとなっています。
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