エルサレム旧市西境の城壁の一部。ユダヤ人の間では『詩篇』に歌われたソロモンの神殿の城壁の跡と伝えられ,聖なる場所とされている。毎週金曜日ユダヤ教信徒はこの壁の前に集って神殿の破壊 (前 597,後 70) を嘆き,聖地の回復を祈って涙を流すが,この慣習は中世に始ったものと思われる。 嘆きの壁の歴史は、紀元前20年頃ヘロデ大王が改築した神殿の西壁として始まる。 70年にユダヤ人による反乱(ユダヤ戦争)があり、ティトゥス率いるローマ軍により鎮圧される。この際、エルサレムは炎上し、神殿は破壊され西壁のみが残った(エルサレム攻囲戦)。 バル・コクバの乱により、ユダヤ教徒のエルサレム立ち入りは禁止されていたが、ミラノ勅令により4世紀以降、1年に1日の立ち入りが許可されるようになる(詳細不明)。 1967年の第三次中東戦争以降、ユダヤ教徒はエルサレムへの立ち入りが許されるようになる。 2015年11月、パリ同時多発テロ事件への抗議と哀悼としてトリコロールの3色にライトアップした[10]。柵で仕切られた男女別の伝統的な礼拝が通例とされていたが、2016年1月31日にイスラエル政府は、男女で礼拝可能となる礼拝区域の設置を新たに承認した。 |