ペスト記念塔



ペスト記念塔
1350 年以降、それまでの権力構造が崩壊し、権威が失墜した。その裏には、14 世紀~17 世紀のペスト大流行が関係しているとも言われる。ペストの大流行は貴族や神父といった権力者ですら死ぬことを人々に知らしめた。当時絶大な権力を誇ったハプスブルク家は、ペストが沈静化した理由を自らの権力にうまく当てはめ、神権政治を行った。

(写真上)プラハ『マラー・ストラナ広場』
①クトナー・ホラ
②カルロビ・バリ
③チェスキークルムロフ
④テルチ(ペスト終焉を記念した聖母マリアの柱像)
⑤ブルノ
⑥ブラチスラバ
⑦ショブロン
⑧ベーチ
⑨ブダペスト


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