勝利の聖母マリア教会



勝利の聖母マリア教会Our Lady of Victories Church

勝利の聖母マリア教会は、三十年戦争における白山の戦い(1620年)において、カトリックの勝利に貢献した聖母マリア像の伝説に基づいて造られた教会です。
入り口を入って右側二つ目の祭壇には「プラハの幼子イエス」の人形があります。これは1628年にスペイン貴族から寄贈されたものです。18世紀以降、「プラハの幼子イエス」崇拝は世界に広まり,世界各地に「プラハの幼子イエス」に献げられた教会が建てられ、その教会の中にこの像の複製が安置されるようになりました。

「白山の戦いと聖母マリア像の伝説」
白山の戦いの前、プロテスタント軍が南ボヘミアの町を通って進軍し、城を襲って略奪しました。プロテスタント軍が去った後、城内の教会のなかで聖母マリアがイエスを出産する「キリスト降誕」の絵が、目の部分を突き刺されるなどして冒涜されているのが発見されました。その絵がカトリック軍の従軍司令官でカルメル会士でもあった人物に預けられ、彼がそれをお守りとして戦場となった白山に持参して、戦闘の際にこの絵を胸に掲げて祈りを献げました。この絵は天の光りに輝き、それによってカトリック軍に助力しました。カトリック軍の勝利は聖母マリアのご加護によるものとされ、「キリストの降誕」の絵は「勝利の聖母マリア」と呼び直されてローマに運ばれ、当地のカルメル派聖パウロ教会の主祭壇に安置されました。このローマの教会は1622年5月8日に「勝利の聖母マリア」に改めて献堂され、サンタ・マリア・デラ・ヴィットリア教会(勝利の聖母マリア教会)と改名されました。


 

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