ラテン橋(Latinska ćuprija)
首都サラエヴォの中心市街を流れるミリャツカ川に架かるオスマン帝国時代からの歴史的な橋である。ラティンスキー橋とも呼ばれる。オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナント(Franz
Ferdinand von Österreich-Este)とその妻がサラエボを視察中、セルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプ(Gavrilo
Princip、Гаврило Принцип)によって、1914年6月28日に暗殺された場所。この暗殺がきっかけとなって、第一次世界大戦が開戦した。プリンツィプは1918年4月28日に獄死した。橋の目の前にサラエボ博物館があり、サラエボの歴史を紹介している。
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