第22番札所 城興寺
22 城興寺 真言宗泉涌寺派 千手観音 住所:南区東九条烏丸町7-1 御詠歌:うたかひも あらでたすくる ぢょうこうぢ ほとけののりぞ たつとくりける 瑞寶山城興寺と号し、真言宗泉涌寺派の寺ですが、もとは四宗(顕・密・禅・律)兼学の道場で比叡山の管理に属していました。平安の昔、藤原信長はこの広大な地に彼の邸宅九条殿を構え、三代後の関白藤原忠実がこの地を伝領し、永久元年(一一一三)ここに鎮護国家の道場として寺院を建立して城興寺としました。十年後には数々の堂塔伽藍も完成し、『城興寺古伽藍図』に見る当時の寺容は、周囲を築地塀で囲い、九条大路に面して南大門が、中央一列に放生池・仁王門・金堂・講堂と、東側に多宝塔と鐘楼が、西側に御影堂、北側には庫裡や数々の僧坊など、堂塔伽藍が建ち並ぶ立派なお寺でした。その後、天台座主最雲親王法親王[白河法皇の子]がこの寺を領ていましたが没後その弟子以仁王がこれを伝領。しかし、平清盛が治承三年(一一七九)のクーデターでその知行権を没収して他に与えました。そのことが平家討伐「以仁王の宣旨」の大きな原因となりました。 本尊千手観世音菩薩は、慈覚大師円仁が承和五年(八三八)、遣唐使の一員として入唐した時、無事の帰朝を念じて船中で造作した観音さまです。(洛陽三十三観音霊場巡礼公式HPより) 私的満足度「★」;地下鉄九条駅が最寄ですが京都駅八条口から歩いてもそれほどではありません。特に何も無い感じのお寺でした。 |